今日、開業準備中の店舗に行き、近日開業と言う張り紙をしてきました。
結局、年末に間に合わず、1月の開業になりますが、今は残り少なくなった束の間の自由な日々かもしれません。
忘年会のシーズンですが、そんな気分でもないし、お金も節約しなくてはと思い、夜は必ず自宅にいます。
つい、母に付き合うような感じでテレビを見ることも多く、ろくなニュースが流れてこないなあと思ったりします。
今年の漢字は「新」と恒例の漢字検定協会が発表していました。
あの、親子で私服を肥やしまくっていた協会です。
そんなどうでもいいニュースを見ながら、妻が買ってきたモンブラン風の栗を使ったケーキを食べました。
うまい。 うますぎる。 お見事。
私は、ラーメン屋で、ラーメン・コンサルタントとか、えらそうな肩書きにして見栄を張ったりしていますが、所詮、ただの食いしん坊です。
A級グルメとか、B級グルメとか、星いくつとか、あまり気にせず、おいしいものには貪欲で、安かろうが、見事なおいしさに出会うと幸せになれます。
こんな食い意地ですから、やせようとか思いながら、おいしいものを作ろうとします。
言い訳ですが、職業病です。
私は意志が弱いのかもしれませんが、同時に適当人間です。
テキトーって聞くと、いい加減なイメージが浮かびますが、よく考えると、適当と言うのは、もしかすると、一番良いと言う意味も入ってると思いますが、どうなんでしょうか?
私は料理をする人間ですが、適当な味付けと言うことをします。
適当と言うのは、一番おいしいところを見極めるということだと思います。
魚の焼き加減で、適当なところで火を止めるというのは、ドンピシャのおいしいタイミングで火を止めるということで、いつ止めてもいいというわけではないですね。
塩加減も同じです。
分量が狂うと、塩辛いか、味が薄くなってしまいます。
適当な塩加減と言うのは実はテキトーではないんですね。
ちょうど良い塩加減のことです。
こういう言い訳を書かずに、私は適当な人間です。と言うと誤解を招きますね。
テレビでも大変高名な名人と呼ばれる方が、「素晴らしい作品ですね」と言う問いに対して「適当だよ、こんなの」と言っていたのが心に響きました。
適当という言葉の意味の深さを知ったんです。
ブログなので、遠慮なく書くと、私はこれから仕事をするのに、自分の嫌な事はしないで済むようにしたいと思っています。
そして、嫌いな人と付き合わずに生きて生きたいと思っています。
勝手な言い方ですが、心も身体も健康でないといい仕事は出来ません。
そうあるために、心の開放は欠かせないと思うからです。
いくら、カロリー計算をして、時間通りに運動をして、検査の結果が健康体であっても、私はそういう数字に幸せを感じないと思います。
自由に生きているかと言うことが最も重要になってしまいます。
もちろん、病気がないと安心しますので、暴飲暴食をするつもりもありません。
私の目標は、一目置かれるような仕事をして、私の作るチャーシューが、お取り寄せグルメとして、お遣い物に使われるような名品になれるようがんばりたいと本気で思っています。
当面は、お客さんに選んでもらえるよう、努力と工夫を重ねて、適当と思う味付けをし、適当な火加減で、適当な時間を掛けて、仕上げていくだけです。
そうして作った製品は、全国のスーパーに並ぶような商品には、なれないし、CMで流れることも無いでしょう。
でも知る人ぞ知る、逸品といわれるような物を作りたいです。
私が作ったものを食べた人が、
「うまい。 うますぎる。 お見事」
と言ってくれるのを夢見ています。
そんな言葉が届けば、私は幸せな人生を送れると思っています。
ストレスの無い人生を送り、突然ぽっくり逝く様な最後でありたいと思います。
健康は大事だと言うのは、母を介護していて、実感していますが、私が今更、長生き目指して健康に気を使いすぎると言うことはできないでしょう。
短命になりたいわけでは、もちろん無いですが、運命と言うものがあると思っていますので、ある日突然命を落としても、悔いの無い人生を生きたいと思うだけです。
B型の私は、これからも自分勝手に適当な人生を歩んでいくと思います。
妻の笑顔や友との語らいも私のエネルギーですから、結局はがんばらないといけないんですけどね。
適当と言って思い浮かんだのは、R・ストーンズの、キース・リチャーズです。
6弦ギターの弦を1本はずし、チューニングを変えて、適当に弾きやすくして奏でるサウンドが、やっぱり最高です。
演奏のミスなど気にしないで適当に弾いています。
テクニック重視のギタリストには耐えられないでしょうね。
でも、ヘタウマでいいんですよ。 お見事 です。
結局、年末に間に合わず、1月の開業になりますが、今は残り少なくなった束の間の自由な日々かもしれません。
忘年会のシーズンですが、そんな気分でもないし、お金も節約しなくてはと思い、夜は必ず自宅にいます。
つい、母に付き合うような感じでテレビを見ることも多く、ろくなニュースが流れてこないなあと思ったりします。
今年の漢字は「新」と恒例の漢字検定協会が発表していました。
あの、親子で私服を肥やしまくっていた協会です。
そんなどうでもいいニュースを見ながら、妻が買ってきたモンブラン風の栗を使ったケーキを食べました。
うまい。 うますぎる。 お見事。
私は、ラーメン屋で、ラーメン・コンサルタントとか、えらそうな肩書きにして見栄を張ったりしていますが、所詮、ただの食いしん坊です。
A級グルメとか、B級グルメとか、星いくつとか、あまり気にせず、おいしいものには貪欲で、安かろうが、見事なおいしさに出会うと幸せになれます。
こんな食い意地ですから、やせようとか思いながら、おいしいものを作ろうとします。
言い訳ですが、職業病です。
私は意志が弱いのかもしれませんが、同時に適当人間です。
テキトーって聞くと、いい加減なイメージが浮かびますが、よく考えると、適当と言うのは、もしかすると、一番良いと言う意味も入ってると思いますが、どうなんでしょうか?
私は料理をする人間ですが、適当な味付けと言うことをします。
適当と言うのは、一番おいしいところを見極めるということだと思います。
魚の焼き加減で、適当なところで火を止めるというのは、ドンピシャのおいしいタイミングで火を止めるということで、いつ止めてもいいというわけではないですね。
塩加減も同じです。
分量が狂うと、塩辛いか、味が薄くなってしまいます。
適当な塩加減と言うのは実はテキトーではないんですね。
ちょうど良い塩加減のことです。
こういう言い訳を書かずに、私は適当な人間です。と言うと誤解を招きますね。
テレビでも大変高名な名人と呼ばれる方が、「素晴らしい作品ですね」と言う問いに対して「適当だよ、こんなの」と言っていたのが心に響きました。
適当という言葉の意味の深さを知ったんです。
ブログなので、遠慮なく書くと、私はこれから仕事をするのに、自分の嫌な事はしないで済むようにしたいと思っています。
そして、嫌いな人と付き合わずに生きて生きたいと思っています。
勝手な言い方ですが、心も身体も健康でないといい仕事は出来ません。
そうあるために、心の開放は欠かせないと思うからです。
いくら、カロリー計算をして、時間通りに運動をして、検査の結果が健康体であっても、私はそういう数字に幸せを感じないと思います。
自由に生きているかと言うことが最も重要になってしまいます。
もちろん、病気がないと安心しますので、暴飲暴食をするつもりもありません。
私の目標は、一目置かれるような仕事をして、私の作るチャーシューが、お取り寄せグルメとして、お遣い物に使われるような名品になれるようがんばりたいと本気で思っています。
当面は、お客さんに選んでもらえるよう、努力と工夫を重ねて、適当と思う味付けをし、適当な火加減で、適当な時間を掛けて、仕上げていくだけです。
そうして作った製品は、全国のスーパーに並ぶような商品には、なれないし、CMで流れることも無いでしょう。
でも知る人ぞ知る、逸品といわれるような物を作りたいです。
私が作ったものを食べた人が、
「うまい。 うますぎる。 お見事」
と言ってくれるのを夢見ています。
そんな言葉が届けば、私は幸せな人生を送れると思っています。
ストレスの無い人生を送り、突然ぽっくり逝く様な最後でありたいと思います。
健康は大事だと言うのは、母を介護していて、実感していますが、私が今更、長生き目指して健康に気を使いすぎると言うことはできないでしょう。
短命になりたいわけでは、もちろん無いですが、運命と言うものがあると思っていますので、ある日突然命を落としても、悔いの無い人生を生きたいと思うだけです。
B型の私は、これからも自分勝手に適当な人生を歩んでいくと思います。
妻の笑顔や友との語らいも私のエネルギーですから、結局はがんばらないといけないんですけどね。
適当と言って思い浮かんだのは、R・ストーンズの、キース・リチャーズです。
6弦ギターの弦を1本はずし、チューニングを変えて、適当に弾きやすくして奏でるサウンドが、やっぱり最高です。
演奏のミスなど気にしないで適当に弾いています。
テクニック重視のギタリストには耐えられないでしょうね。
でも、ヘタウマでいいんですよ。 お見事 です。