今さらながら人生というのは、波乱万丈、予測できない出来事に一喜一憂し、あっという間に1年が経過します。
1年前に私は、埼玉県に住んでいました。
妻が工場で働き、私は起業するんだと意気込み、日本とフィリピンを何度も往復していました。
フィリピンから、シュークリーム屋さんが我が家に来て、1ヶ月近く滞在していたのもこの頃です。
秋が深まる中、近所の温泉や、軽井沢や、そして埼玉から大阪までドライブしたりして、思い出深い日々を過ごしていたのがつい最近のようで、もう1年経ちます。
その後、私は大阪で母の介護という人生で初めての経験を始めました。
いまだに妻と仲良くしない母の問題など、去年は予想しなかった出来事に翻弄されています。
7月には突然、友人が命を落とし、人生について深く考えるきっかけになりました。
それ以来、フィリピンでの起業を方向転換し、大阪で起業し、フィリピンには、フードコンサルタントとして、たまに行く程度の暮らしを希望するように変わってきました。
母の介護で無理やりフィリピンでの商売をあきらめたのではなく、今の私は大阪で起業することがベストだと思えるようになってきたのは、つい最近のことです。
でも運命は私を惑わすようにいろんな出来事が起こります。
フィリピンでは娘が妊娠しました。
私たち夫婦が日本にいるので、私がフィリピンに行くまで内緒にするはずが、やはり女です。
妻の母が異変を見抜き、とうとうバレてしまいました。
私がコンサルの仕事で今時分はフィリピンにいる予定だったのが、これまた予期せぬ大洪水の影響で、私の仕事が延期になってしまったのです。
娘を義母に預けたまま暮らしていたため、妻は責任を感じて、娘を責めることはしません。
無事に出産できるようにと、祈り、またお金の援助も何とかしたいと私に訴えています。
台風による洪水は妻の実家も襲い、腰の辺りまで冠水してしまいました。
小さな店ですが、雑貨屋の店内も大きな損害を受けています。
妊娠の件と両方でお金が掛かります。
予測外の出来事に見舞われました。
さらに、おととい、フィリピンから連絡があり、とんでもないことが露見しました。
私たちは昨年7月までフィリピンでネットカフェを経営していましたが、ある方に店を譲りました。
全ての名義変更をしての譲渡だったのですが、電話の権利だけが、書類不備で名義変更できていませんでした。
それは後日、新オーナーが不足書類をもって行き、名義を変更するというのを確認して私は帰国したのですが、
結局、なぜか忘れたのか、名義変更していませんでした。
しかも最悪なのは、その2ヵ月後にはネットカフェを突然閉鎖して、移転しました。
水道や電気など、賃貸物件を引越しする時に、連絡して清算しなくてはいけないのはフィリピンでも同様です。
でも連絡しないで退去されていたのです。
当然、以前のオーナーである私たち夫婦は知る由も有りません。
フィリピンの電話局であるPLDT社は悪名高く、高飛車で全くいやな会社です。
解約に来なかったということで、1年経っている今になって請求書を名義人である妻宛に実家に郵便が届いたのです。
今もまだ、料金は加算され続けています。
笑ってしまうのは、その契約場所にはすでに別の方がテナント契約して薬局になっています。
そのかたが同じ場所で電話契約したということで、私たちはいなくなったのがわかっているのに、妻名義で加算してきます。アホです。
金額は合計で20万円以上になっています。
ネット回線の契約なので毎月2万円近くなります。
それの1年分近い金額の請求です。
もちろん、ネットカフェを譲った方の責任ですから、支払ってもらいますが、払えないとなると、名義人である妻に請求が来るのです。差し押さえて土地を取られたらどうしようと、義父母から新たな悩みを相談されています。
とりあえず、月末には延期されていたマニラ行きが叶いそうです。
11月には大阪でも起業できると思います。
それらが、収入になるには、少し時間がかかるかも知れません。
大阪での店舗契約や工事にと、起業にお金がかかるときに、娘の妊娠。実家の洪水。フィリピンでの電話代の請求。など、お金がいる話ばかりです。
今年中にはかたがついて、笑い話になるかもしれませんが、今月は火の車がさらに延焼して大変なことになってきました。
何とか借り入れでもして乗り切るしかない状況です。
でも、悠長なことを言ってる時間もないので頭が痛いです。
1年後はバラ色の予感です。
1年ごとに人生は変わります。
変わりすぎやっちゅうねん。
ここだけ乗り切って来年を迎えなければ・・・
また、ロトでも当たらんかな??