去年の夏、アフガニスタンで武装ゲリラに拉致されて無残に殺害された、
伊藤和也さんのことをブログに書きました。
そのときの記事はこれです。
http://ameblo.jp/tabaching/entry-10132812402.html
時の流れの速さに驚くとともに、その後の彼の遺志を継いだ人々の活動が気になり、動画サイトで彼の所属していたペシャワール会や両親のこと、いろんな情報を見ることが出来ました。
NGO団体 ペシャワール会、会長の中村 哲さんの活動をテレビでも見て、私は感動で涙が止まりませんでした。
医師である中村さんは、アフガニスタンに赴き、そこに住む人々の命を救うために、薬による治療ではなく、荒れ果てた砂漠に水路を通すことを考えました。
治療に当たった90%の患者は、きれいな水と、その水によって作られる作物の栄養があれば救えると感じたからです。
いまだに戦争が終わる気配など無く、荒れ果てた砂漠と、いつ襲われるかわからない世界でもっとも過酷な状況下、この中村さんや、伊藤さんはアフガンの人々にさえも最初は賛同してもらえなかった、水路作りに命を懸けてチャレンジしたのです。
お涙頂戴映画の作られたフィクションではなく、本物の命を懸けた社会貢献に私は言葉を失い、ただ涙が止まりませんでした。
徹夜で作業する彼らの行動は、アフガンの人々の心を打ち、いつしか、大勢の住民の協力の下、水路工事は進んでいきました。
その最中での伊藤さんの死には、水路工事に関係する住民たちの深い悲しみになり、大勢の人々の涙に送られて伊藤さんは帰国したのです。
代表の中村さんは20年にわたり、アフガンを支援して、何が出来るかではなく、何をしてはいけないかと言う考えを説いてきたそうです。
それは、たった2つ
・人を殺してはいけない。
・戦争に手を貸してはいけない
中村さんは、伊藤さんの死後、悲劇を繰り返さないようにと、日本人スタッフを全て帰国させて、
自分だけ、たった1人残って、現地の人たちと水路の工事を続けました。
今まで掘り進んで、少しずつ延びてきた水路の周囲には緑が戻り、花が咲き、子供が水浴びをしています。
気の遠くなる作業を重機も無い手作業で掘り進めて、24,3Kmの水路が完成しました。
初めて水が通る開通式では、関係した労働者達が最高の笑顔と感動で水の流れを追っていきます。
いまだ、世界の貧しい国はたくさんあるのに、私はそれらに何もしないで、自分の金儲けのことばかり考えています。
自分がうそつきで終わらないように、少しでも誰かのために努力して何かしらの貢献をしなくてはいけません。
私の持論は「ボランティアには金が必要だ。だからビジネスで成功しないと、多くの人を助けられない」
です。
間違いだとは思いませんが、また今度とか、いつかやる、とかなら誰でも言えます。
そう言い続けて、TVの支援活動を見て涙を流せば、ボランティアに熱心なやさしい人に見えるかもしれません。
そろそろ、そんな甘っちょろいところを卒業して、もっと具体的に支援の輪に入っていけるようになろうと思います。
今は何をするとは約束も出来ません。
それが、今の小さな自分です。
世間は不況の風が吹いていますが、私は何とかこれからやっていけそうなプランは持っています。
それを実現して、社会貢献をすることを忘れないで生きて行きたいと、本当に思います。
youtubeの動画にたくさん、ペシャワール会の活動の記録があります。
今まで多くの表彰を受けて、その活動が称えられています。
今後のノーベル平和賞の受賞者にふさわしい団体だと思います。
この動画の最初に出てくるアフガンの菜の花畑の少女の表情に心打たれました。
素晴らしい笑顔です。
動画を見て、フィリピンだけではなく、アフガンについても何か考えてみるきっかけになればと思います。
伊藤和也さんのことをブログに書きました。
そのときの記事はこれです。
http://ameblo.jp/tabaching/entry-10132812402.html
時の流れの速さに驚くとともに、その後の彼の遺志を継いだ人々の活動が気になり、動画サイトで彼の所属していたペシャワール会や両親のこと、いろんな情報を見ることが出来ました。
NGO団体 ペシャワール会、会長の中村 哲さんの活動をテレビでも見て、私は感動で涙が止まりませんでした。
医師である中村さんは、アフガニスタンに赴き、そこに住む人々の命を救うために、薬による治療ではなく、荒れ果てた砂漠に水路を通すことを考えました。
治療に当たった90%の患者は、きれいな水と、その水によって作られる作物の栄養があれば救えると感じたからです。
いまだに戦争が終わる気配など無く、荒れ果てた砂漠と、いつ襲われるかわからない世界でもっとも過酷な状況下、この中村さんや、伊藤さんはアフガンの人々にさえも最初は賛同してもらえなかった、水路作りに命を懸けてチャレンジしたのです。
お涙頂戴映画の作られたフィクションではなく、本物の命を懸けた社会貢献に私は言葉を失い、ただ涙が止まりませんでした。
徹夜で作業する彼らの行動は、アフガンの人々の心を打ち、いつしか、大勢の住民の協力の下、水路工事は進んでいきました。
その最中での伊藤さんの死には、水路工事に関係する住民たちの深い悲しみになり、大勢の人々の涙に送られて伊藤さんは帰国したのです。
代表の中村さんは20年にわたり、アフガンを支援して、何が出来るかではなく、何をしてはいけないかと言う考えを説いてきたそうです。
それは、たった2つ
・人を殺してはいけない。
・戦争に手を貸してはいけない
中村さんは、伊藤さんの死後、悲劇を繰り返さないようにと、日本人スタッフを全て帰国させて、
自分だけ、たった1人残って、現地の人たちと水路の工事を続けました。
今まで掘り進んで、少しずつ延びてきた水路の周囲には緑が戻り、花が咲き、子供が水浴びをしています。
気の遠くなる作業を重機も無い手作業で掘り進めて、24,3Kmの水路が完成しました。
初めて水が通る開通式では、関係した労働者達が最高の笑顔と感動で水の流れを追っていきます。
いまだ、世界の貧しい国はたくさんあるのに、私はそれらに何もしないで、自分の金儲けのことばかり考えています。
自分がうそつきで終わらないように、少しでも誰かのために努力して何かしらの貢献をしなくてはいけません。
私の持論は「ボランティアには金が必要だ。だからビジネスで成功しないと、多くの人を助けられない」
です。
間違いだとは思いませんが、また今度とか、いつかやる、とかなら誰でも言えます。
そう言い続けて、TVの支援活動を見て涙を流せば、ボランティアに熱心なやさしい人に見えるかもしれません。
そろそろ、そんな甘っちょろいところを卒業して、もっと具体的に支援の輪に入っていけるようになろうと思います。
今は何をするとは約束も出来ません。
それが、今の小さな自分です。
世間は不況の風が吹いていますが、私は何とかこれからやっていけそうなプランは持っています。
それを実現して、社会貢献をすることを忘れないで生きて行きたいと、本当に思います。
youtubeの動画にたくさん、ペシャワール会の活動の記録があります。
今まで多くの表彰を受けて、その活動が称えられています。
今後のノーベル平和賞の受賞者にふさわしい団体だと思います。
この動画の最初に出てくるアフガンの菜の花畑の少女の表情に心打たれました。
素晴らしい笑顔です。
動画を見て、フィリピンだけではなく、アフガンについても何か考えてみるきっかけになればと思います。