前回の記事でフィリピン人擁護といえる記事を書きました。

いろんなコメントやメールをいただきました。

ホントにいろんな意見がありますので、私の見解が正しいとも言い切るつもりはありません。


私は自分の家族は何よりも大事なので、妻の母国フィリピンに対しての悪口は聞きたくありません。

日本人の悪口も同じく聞きたくありません。

事実だとわかっていても聞きたくありません。

聞いたことがあるような悪口ばかりだから余計にそう思うのかもしれません。


ブスの人に「お前ブスだな」とか、私に「あんたデブだね」と言われるのに近い感覚かもしれません。

いくら事実でもそんな批判ばかり聞きたいとは思いませんし、特にフィリピン渡航歴数年のベテランで買春専門のオッサンの、批評など聞きたくありません。


たまには、その国のいいところを見つけて、そこを話題にしてはどうでしょうか?

つまんないでしょうか?

ネット上の根暗な世界では、悪口を言うほうが楽しいかもしれませんね。

ストレス発散の場になってる方も多いでしょうし。


私はブログで顔も明かしてますし、私が何者かも人に教えます。

匿名で書き込んでやばくなったら知らん顔するような使い方はしておりません。

私の中ではブログも現実世界です。

もちろん妄想めいた夢など書きますので仮想世界かもしれませんが、ウソを並べてはいません。


フィリピン人批判するなら堂々と正体を明かしてすればいいと思いますが、大多数は悪口を言う時は顔も名前も内緒にしています。

その時点で信憑性に欠けると判断してしまいますね。


今日のタイトル 「平和な国に住みたい」ですが、私の中でどこが平和な国なのかわからなくなっている部分があります。


日本ですか?

日本人に「今あなたは幸せな日々を送っていますか?」と聞くと「NO」 が多いことは容易に想像できます。

私の親友は先日、13歳の息子に殺されました。

こんなニュースは悲しいですが、悲惨な事件はあちこちで起こっていますから、この友人の件も数日後にはスグ報道しなくなりました。


じゃあ フィリピンは平和な国ですか? アメリカはどうでしょう?


私はどこが平和な国なのか知りません。

というか、わかりません。

私自身が幸せに暮らすために必要なことは理解しています。

そんなに難しいことではありません。

まあ、お金も必要ですし、愛する家族や友人がいることもとても大切です。


少しだけ政治のことを書くと、核兵器廃絶出来ないで平和はありえないと思ってしまいます。

核抑止力とか言う大義名分の裏で核開発を止められずに、国家が遣い続ける巨大な資金や駆け引きは危険です。


原爆式典で広島市長が平和を訴えたり、被爆者の悲惨な映像を見せるよりも、やらなければいけないことがあると思っています。


まだ生存している、広島・長崎の原爆投下、実行部隊である、エノラゲイ乗組員は今でもその行為を正当化します。

戦争終結のためにはやむを得なかったと。


その、アメリカ的な自己正当化をやめて、もうスグ死んでいく乗組員ジジイたちは、大量虐殺実行犯として、汚名をかぶり、歴史に名を残す残虐で無慈悲な大量殺戮者として、今でも悪夢にうなされ、苦しむ姿を映し、決して英雄になどなれないことを報道して欲しいと思います。

核兵器を使った国や実行犯は、いかなる理由があろうと、永遠に許されない人類最大のクズだという定義が必要だと思います。


勝手なことをいろいろ書いていますが、私の夢であるフィリピンに貢献できて生涯を終えたならきっと、親族は私の棺を車に乗せて、町の中を練り歩いてくれると思います。

フィリピンでは葬儀の時に良く見る光景です。

政治家でなくても行列が通りすぎるのを何度も見ました。


大雨が降ろうと、故人を惜しみ、最期まで見送るため、ずぶ濡れになっても葬儀に参加するフィリピン人の優しさは良いところだと私は思っています。