昨日、逝ってしまった友人、じんちゃんに、会いに行こうと今、予定を調整しています。

彼の眠っている場所まで、ウチからは、車で5時間以上掛かります。


土曜日の早朝にフィリピンに行きますので、木金は、その準備と打ち合わせなどで予定が入り、妻の帰省みやげの買い物に連れて行く時間が無いなあなんて考えていました。


突然の出来事により、妻の買い物ができなくなりました。

時間が無いからです。

あと、お金も無いからです。


訃報に落ち込みますが、メソメソするのは後回しです。このスケジュールをやり繰りして、じんちゃんに会いにいかねばなりません。

彼は寂しがりやです。

私を待っているのがわかります。


じんちゃんには多くの地元の幼馴染、友達がいます。

私にも紹介してもらって、いい人ばかりで、彼の故郷がホントに好きになりました。

彼は大阪に出てきたときに私の先輩を介して私と出会いました。


音楽の話題で意気投合してスグ仲良くなりました。

じんちゃんの地元の友人ベーシストのA君が加わって最高のトリオが結成されました。

音楽の話になると、素人離れしたミュージシャンの感性で話す2人の友人との会話は最高に楽しいものでした。


じんちゃんは、出会ったとき、まだ、21歳だったと思いますが、強い個性を放っていました。

ちょっと、楽器の話になりますが、

誰もが、レスポール、ストラト系のギターを愛用していた頃に、じんちゃんは、フェンダー テレキャスター シンライン という珍しいギターを持っていました。

中に空洞が少しある、テレキャスターです。

しかも、アンプは、超びっくり メサ・ブギ です。本物です。


興味の無い人には、わけのわからない話ですが、私にとっては、すごく面白くて、忘れられません。

そんな人は初めてでしたから。


じんちゃんは当時、憧れのミナミの近くで1人暮らしで、運送屋で働き、自宅マンションのでかいテレビで映画を見て、下ネタや将来の夢やいろんなことを話していました。


あまり、外で飲みに行かなかった当時の彼には、いろんな映画を教えてもらったり、同郷の女友達も紹介してもらって熱い青春でした。


その後、じんちゃんは地元に戻り、フィリピン人の奥さんに熱烈にアタックして結婚し、子供が産まれ、親になりました。

長男の名付け親に、地元の市長を訪ねて命名してもらったりするなど、地元に戻っても非常に個性の強い、

そんなじんちゃんでした。


その後、10何年ぶりに再会するまで、会わなかったんです。

私が会社倒産したり、東京に出て行ったりして七転八倒して、なつかしい友に会うことも忘れていたからです。

再会した時は大変喜んでくれました。

地元の店を何件も、はしごして本当に楽しかったです。


それからは、メールを中心にたまに会うくらいしか出来なかったのですが、ここ数年、じんちゃんは本来の明るさを出せないで苦しんでいるように見えました。

大事な地元の友達には、強い男でありたいし、でも、不況で仕事を選んでる場合じゃなくなり、なんでも挑戦していたのだが、「周りの友人に陰口を言われて苦しい」 と珍しく私にこぼした事もありました。


大きな器を持ちながら、その過程の苦労で、友人知人に頼ることを嫌い、人に金銭面での迷惑を掛けたくないという信念がありました。

私は、時にそれがもどかしくて、「自分が大きくなるには、頭を下げて人の世話になることもある。そして失敗してその人に迷惑を掛けるかもしれない。 それが絶対にイヤなら、それも構わないと思う。 でもそこを潜り抜けないと、大きくは、なれないと思うよ。」 と私はえらそうに話していました。


正しいかどうかわかりません。

そんな気がしただけです。


じんちゃんが好きだった映画、好きだった80年代、90年代アメリカが中心でした。

私たちが大好きだった映画は、バック トゥザ フューチャー ・クロスロード・ 愛と青春の旅立ち・アンタッチャブル・etc・・・・


明日はじんちゃんに何を話そうか

あっちの世界では、ケンカばかりしないで楽しくやってね。

いずれまた会えるんだし、そのときは楽しくやりましょう。


じんちゃんは私の親友です。

まだまだ語りつくせない黄金の思い出がいっぱいあります。

フィリピンに行く直前に会える時間が作れることに感謝します。