プロレス界の重鎮、元2代目タイガーマスクでもある、三沢光晴さんが、リング上で、受けたバックドロップで亡くなりました。

プロレスの中で事故は何回かありますが、試合中のバックドロップで絶命するなど聞いたこともありませんでした。
残念ですね。

テレビ出演のバラエティー番組で恥ずかしそうに見せる笑顔にも好感が持てました。
地上波の放送が無くなってしまった後も、一生懸命にプロレスに尽くしてきたので、ファンや関係者の悲しみは本当に大きいでしょう。

幼少の頃、プロレスブームの中心は馬場と猪木でした。
私は幼稚園の頃から、4の字固めを必殺技にして、暴れまわっていました。

小学校に上がると、エスカレートし、気に入らない奴には教室の中や砂場でバックドロップを連発していました。今思うと、むちゃくちゃです。
体育館でドロップキックをお見舞いした後、気絶して病院に運ばれたクラスメートに謝りに行った時には
「記憶喪失になった」といわれ、担任教師に土下座させられたりして、大変でした。

当時、プロレス界には、鉄人ルー・テーズ 神様 カール・ゴッチ がいました。
NWAというタイトルは正真正銘の世界タイトルでした。

猪木の師匠と言われたカール・ゴッチが、語ったと言われる「バックドロップはへそで投げる」
と言う言葉は私たち、プロレスファンの少年の心に大きく響きました。
何と言うかっこいい言葉なんだと思っていました。

その頃の私の最大のヒーローは、ブルース・リーや極真空手の芦原英幸、ボクシングの世界チャンピオンやプロレスなど、自ら格闘技同好会や自主出版をするほどの熱狂振りでした。

幼稚園の時にアニメのタイガーマスクに憧れて、外出時は赤いマントをつけていました。
音楽に目覚めても、格闘技と音楽両方をこよなく愛していました

プロレスは、どんどん過激になり、空手チョップやコブラツイストで決着が付くことはなくなりました。
いろんな投げ技、スープレックスが出てきて、私の大好きなジャーマンスープレックスは原爆固めという名前の必殺技でした。

フルネルソン(羽交い絞め)の姿勢からジャーマンに持っていく、タイガースープレックスは地上最強の技だと今でも思います。

好きではない人には、訳のわからん話になりました。

とにかく、昔のプロレス、力道山がいなくなったあとの、昭和のプロレスは夢がありました。
リングネームとは別の通り名があり、それもかっこいいのです。

一番有名なのが、「燃える闘魂」 アントニオ猪木です。  人間風車、千の顔を持つ男 黒い呪術師、人間発電所、白覆面の魔王、うーん 今でもカッコイイと思ってしまいます。

岩石落とし 所謂、バックドロップが原因で三沢さんが命を落としました。
今後のプロレス界が心配です。

ハッスルやWWFのように、ガチンコ一切無しの、ショー プロレスやるしか生き残れないのでしょうか?

今思うと、昔から、ガチンコでは無かったと思いますが・・・

最も熱くなったのが、猪木の異種格闘技戦です。
あんなに、感動と興奮して何日も前からドキドキすることはなくなりました。
少年時代の一時期、猪木は正真正銘、地上最強のスーパースターでした。
動画を見て興奮が甦りました。