私の小中学生の時の同級生A君は、昔から漫画がうまくて、間違いなくプロになると思っていました。
今はWebデザイナーみたいなことをやっているようです。
そのワザを生かして、中学校の同窓会ホームページを作ってくれました。

それは、漫画家を目指していたガキの頃を彷彿とさせるセンスがある見事なものでした。
そのA君と残り数名の同級生が幹事になり、同級生同士集まり、飲んだりしているそうです。

私はその学校は中学3年の途中で転校しておりますが、やんちゃ盛りでしたので遊びまわったり、悪い事したり、ケンカしたりしてずい分と名を売っていましたので、同じ仲間として溶け込んできました。

昨夜は、本当は私と、もう1人M君の2人きりで飲もうと思っていました。
ところが、大阪を離れて、同窓会には全く顔を出してなかった私が来るということで、M君は骨を折って、18名も集めてくれました。

用事が重なり会場に30分遅れで到着した私に一同、歓声を上げて迎えてくれました。
うれしかったです。

28年ぶりに会う人がほとんどで、名前を思い出せない人もチラホラいました。
すごく会いたかった女子2名は連絡つかずで残念でしたが、とにかく、楽しくて、嬉しくて深夜まで大騒ぎでした。

忘れていたバカ話も覚えている奴から聞かされて、思い出すと同時に大笑いしていました。
女子もいい年になり、面影がすっかり無い子もいましたが、何か恋愛対象にはならない、親戚や兄弟に近い感覚で、すぐ昔に戻れました。

私は、大変変わったらしく、巨体に、皆が驚き、女子たちは、おなかや、ほっぺたをつまんで遊んでいましたし、おとなしい友達たちからはなぜか、敬語で話しかけられていました。
迫力のせいでしょうか?

親分肌のT君は病後のおっちゃんのように少し元気が無い感じに見えました。
とにかく、普通に再会を誓い合い、いつでも昔に戻れるということに安心できました。

大事な友達は死ぬまで友達なんだと再確認して、本当にうれしかったです。
18歳で東京に行き、大阪を離れ、大阪を嫌い、フィリピンに行きたい私ですが、私のソウルは大阪にあります。

梅田で生まれて、庄内に引越し、淡路で思春期を過ごし、吹田でバンドに目覚めました。
大阪での数々の思い出を共有できる仲間は貴重です。
帰りの車の中では私が張り切ってしまい、いろんなエピソードの傑作集を披露してバカ受けでした。

あんなに受けて、自信たっぷりに話せたなんて、本当に久しぶりです。
当時は吉本に入りたかったくらいお笑い好きでした。
ずいぶん飲みましたが、悪酔いもせず、美味しいお酒でした。

深夜帰宅すると妻はもう、待ちくたびれて寝ていました。
飲み会の間、10回以上妻からメールが来ているのは絶対私だけでしょう。
恥ずかしくて、言えなかったです。
妻の得意なストーカー攻撃です。
飲みに行くと必ずメール攻撃ですね。 うんざりしますが、フィリピン人はこういう人が多いですね。
慣れました(笑)

同級生K君に、「こんなカッコイイの知らんのか? ボブディランも、ほめてるねんぞ」
といわれて、急いで聞いたレコードがあります。
デビュー当時のダイアー・ストレイツでした。

ハードロックにハマってた私の目を覚ましてくれたのは、クリアーなストラトサウンドと、軽快なリズムでした。
今でも最高に好きな曲 悲しきサルタンです。
フィエスタレッドのメープルネックのコレクター垂涎のストラトを指弾きで、マーク・ノップラーが弾きまくっています。