昔はアマチュアバンドでドラムを叩いておりました。
高校を卒業する頃になると地元のライブハウスに出演して、チケットを友人に売ったりしました。
私はそんなに自信が無いので、1枚300円のチケットを捌くのに苦労しました。
最初はうまく行っても、いつも見に来てもらうのは大変です。
1人で10枚売るのも大変です。
苦労した挙句、余ったら自腹で買い取るという厳しい世界でした。
その頃はプロになりたかったんです。
アマチュアバンドでもお金もらったらプロになるのか、レコードデビューしないとプロではないのか、区別がよくわからない世界で、中途半端な「セミプロ」という言葉をよく聞きました。
すごく、うまくて、ファンがいて、ライブも満員でも、所属会社が無いデビュー前の状態はセミプロだったんです。
私は「アマチュアなの?」と聞かれると「違う」といいたかったけど、「プロですか?」と聞かれたら「全然まだまだ」とは答えていました。
下手くそでしたから私は。
で、カッコばかりの奴らが「一応セミプロ」とか言ってるのを見ると恥ずかしかったです。
その後、バンドで食っていけないから、普通に仕事をするようになって、いろんな仕事をしましたが自分がプロだと自信を持って言える仕事は無かったです。
中途半端に覚えたことはいろいろとあるかもしれませんが、その道のプロにはなれなかったです。
30歳になってからラーメンの世界に入り、10年以上経ちました。
ここ2年ほどはラーメン界からも遠ざかっていましたが、イチから修行もして、調理だけでなく、店舗作りや社員研修や資金繰りやその他諸々を経験して初めてプロだと思えるようになって来ました。
もちろん、素人でも、FCに加盟して1ヶ月修行して開店すれば、あっという間にプロになれます。
プロになるための試験も何もありません。
お金をもらってる以上、それだけでプロなんです。
とても気になる人をテレビで見ました。
肩書きは 珈琲焙煎家です。 その方は お名前を 大宅 稔 おおや みのる さんと言います
私と同年代で42歳だそうです。
喫茶店を11年やって閉店して、その後、ほんとうに美味しい珈琲を作るために、京都の田舎に焙煎所を作り、そこで丁寧に作った珈琲を知っている人やお店に、ご自分で宅配までしていました。
焙煎所といっても正直、田舎の古い小屋で、家賃1万円みたいなところで、たったひとり、手作業で悪い豆を選別して、古そうな機械で豆を煎り、自分にしか解らない絶妙なタイミングで豆を取り出します。
小さな扇風機で豆を冷ますと、見た目にもしっとりとした艶のある豆がありました。
珈琲の作り方にもこだわりがあり、お湯の温度や豆の量、入れる速度まで細かい仕事です。
それらを自身で実践する教室のような事まで金儲け度外視でやっているのを見ました。
驚くのは、この時代にインターネットに背を向けて、住所を隠し、最後までネット通販には興味を示さなかったのです。
それでもクチコミで取扱店が増えて、今では京都の多くの喫茶店でそのコーヒーが飲めると聞きました。
この「大宅コーヒー」は幻の最高のコーヒーとしてプロ中のプロとして尊敬します。
大宅さんの語った一言がすごくシンプルなんですが、私にとっては忘れられない一言になりました。
「コーヒーは、美味しくなかったら何の意味も無い」
カフェ全盛の時代にこういう無骨な人がいることは大変嬉しく思います。
実は私には、店舗を構えないで小さな倉庫を借りて、そこにキッチンを作り、ラーメンの通販をしないかというお話が以前からあります。
もちろん私の場合はネットをフル活用した通販です。
オール手作りで、納得いく商品だけを真空パックして冷蔵便で届けてみないか?
というお話で、大事なウェブサイトもパソコンのプロ中のプロが、全額出世払いで作ってくれるという、素晴らしいお話です。
パソコンの苦手な私には嬉しい話です。
以前にお中元に手作りのラーメンセットを届けてから、そのファミリー皆が、その味のファンになってくれました。「噂が広まるまで、しばらく時間がかかっても、絶対にうまくいくよ!」 と激しく応援してくれます。
横浜ラーメンを基本に、さらにうまみを加えて、手を掛けたラーメンの評価を聞きたいという気持ちもあり、通販では味が劣化するのでは? という問題があるので、いまだに悩んでおります。
でも、母の介護がある以上、スグにフィリピンで開業するのは非常に難しいです。
だから前向きに考えていました。
ところが最近になり、フィリピンでラーメン屋をやらないかと言う、お誘いを受けまして非常に嬉しいやら、では、母の介護はどうしようかな、などと、大変に悩んでおります。
誘ってくれる方もいつまででも待ってるわけはありませんし、決断しなくてはいけないのです。
まあ、どこで作るにしてもプロの仕事ができる環境で自分をもっと磨きたいと思います。
プロと言えば、ミュージシャンも年を取っても歌い続けて、長く感動を与え続けてくれます
ボブ・ディランがデビュー30周年のコンサートの時に、豪華ゲストが集まってお祝いしました。
その中で、とても気に入ったのが マイ・バック・ペイジというこの日にピッタリの曲でした。
「年を取っても君はまだあの頃のように若い 」 みたいな歌詞がまたいいですね。
ロジャー・マックグイン トム・ペティ ニール・ヤング エリック・クラプトン ボブ・ディラン そして最後は今は亡き、ジョージ・ハリソンが歌います。 ぜひ見てくださいね。
クラプトンはこういうセッションさせたら抜群にうまいです。
高校を卒業する頃になると地元のライブハウスに出演して、チケットを友人に売ったりしました。
私はそんなに自信が無いので、1枚300円のチケットを捌くのに苦労しました。
最初はうまく行っても、いつも見に来てもらうのは大変です。
1人で10枚売るのも大変です。
苦労した挙句、余ったら自腹で買い取るという厳しい世界でした。
その頃はプロになりたかったんです。
アマチュアバンドでもお金もらったらプロになるのか、レコードデビューしないとプロではないのか、区別がよくわからない世界で、中途半端な「セミプロ」という言葉をよく聞きました。
すごく、うまくて、ファンがいて、ライブも満員でも、所属会社が無いデビュー前の状態はセミプロだったんです。
私は「アマチュアなの?」と聞かれると「違う」といいたかったけど、「プロですか?」と聞かれたら「全然まだまだ」とは答えていました。
下手くそでしたから私は。
で、カッコばかりの奴らが「一応セミプロ」とか言ってるのを見ると恥ずかしかったです。
その後、バンドで食っていけないから、普通に仕事をするようになって、いろんな仕事をしましたが自分がプロだと自信を持って言える仕事は無かったです。
中途半端に覚えたことはいろいろとあるかもしれませんが、その道のプロにはなれなかったです。
30歳になってからラーメンの世界に入り、10年以上経ちました。
ここ2年ほどはラーメン界からも遠ざかっていましたが、イチから修行もして、調理だけでなく、店舗作りや社員研修や資金繰りやその他諸々を経験して初めてプロだと思えるようになって来ました。
もちろん、素人でも、FCに加盟して1ヶ月修行して開店すれば、あっという間にプロになれます。
プロになるための試験も何もありません。
お金をもらってる以上、それだけでプロなんです。
とても気になる人をテレビで見ました。
肩書きは 珈琲焙煎家です。 その方は お名前を 大宅 稔 おおや みのる さんと言います
私と同年代で42歳だそうです。
喫茶店を11年やって閉店して、その後、ほんとうに美味しい珈琲を作るために、京都の田舎に焙煎所を作り、そこで丁寧に作った珈琲を知っている人やお店に、ご自分で宅配までしていました。
焙煎所といっても正直、田舎の古い小屋で、家賃1万円みたいなところで、たったひとり、手作業で悪い豆を選別して、古そうな機械で豆を煎り、自分にしか解らない絶妙なタイミングで豆を取り出します。
小さな扇風機で豆を冷ますと、見た目にもしっとりとした艶のある豆がありました。
珈琲の作り方にもこだわりがあり、お湯の温度や豆の量、入れる速度まで細かい仕事です。
それらを自身で実践する教室のような事まで金儲け度外視でやっているのを見ました。
驚くのは、この時代にインターネットに背を向けて、住所を隠し、最後までネット通販には興味を示さなかったのです。
それでもクチコミで取扱店が増えて、今では京都の多くの喫茶店でそのコーヒーが飲めると聞きました。
この「大宅コーヒー」は幻の最高のコーヒーとしてプロ中のプロとして尊敬します。
大宅さんの語った一言がすごくシンプルなんですが、私にとっては忘れられない一言になりました。
「コーヒーは、美味しくなかったら何の意味も無い」
カフェ全盛の時代にこういう無骨な人がいることは大変嬉しく思います。
実は私には、店舗を構えないで小さな倉庫を借りて、そこにキッチンを作り、ラーメンの通販をしないかというお話が以前からあります。
もちろん私の場合はネットをフル活用した通販です。
オール手作りで、納得いく商品だけを真空パックして冷蔵便で届けてみないか?
というお話で、大事なウェブサイトもパソコンのプロ中のプロが、全額出世払いで作ってくれるという、素晴らしいお話です。
パソコンの苦手な私には嬉しい話です。
以前にお中元に手作りのラーメンセットを届けてから、そのファミリー皆が、その味のファンになってくれました。「噂が広まるまで、しばらく時間がかかっても、絶対にうまくいくよ!」 と激しく応援してくれます。
横浜ラーメンを基本に、さらにうまみを加えて、手を掛けたラーメンの評価を聞きたいという気持ちもあり、通販では味が劣化するのでは? という問題があるので、いまだに悩んでおります。
でも、母の介護がある以上、スグにフィリピンで開業するのは非常に難しいです。
だから前向きに考えていました。
ところが最近になり、フィリピンでラーメン屋をやらないかと言う、お誘いを受けまして非常に嬉しいやら、では、母の介護はどうしようかな、などと、大変に悩んでおります。
誘ってくれる方もいつまででも待ってるわけはありませんし、決断しなくてはいけないのです。
まあ、どこで作るにしてもプロの仕事ができる環境で自分をもっと磨きたいと思います。
プロと言えば、ミュージシャンも年を取っても歌い続けて、長く感動を与え続けてくれます
ボブ・ディランがデビュー30周年のコンサートの時に、豪華ゲストが集まってお祝いしました。
その中で、とても気に入ったのが マイ・バック・ペイジというこの日にピッタリの曲でした。
「年を取っても君はまだあの頃のように若い 」 みたいな歌詞がまたいいですね。
ロジャー・マックグイン トム・ペティ ニール・ヤング エリック・クラプトン ボブ・ディラン そして最後は今は亡き、ジョージ・ハリソンが歌います。 ぜひ見てくださいね。
クラプトンはこういうセッションさせたら抜群にうまいです。