先日、ブログでも書いて、何とか頑張って欲しかったのですが忌野清志郎さんが亡くなってしまいました。
再発なので心配していましたが本当にショックです。

突然ニュースで見たときは言葉にならずにただ、ボーゼンと、そのことにコメントするビートたけしのお悔やみのコメントを聞いていました。

たくさんの思い出が頭の中をよぎり、上手く表現できないのですが、清志郎は間違いなく日本のロック界におけるミックジャガーとジョンレノンを足したような存在で、彼がいたから日本語のロックに夢を持てました。

昔、思春期にロック少年だった私は生まれるのが遅くて、ビートルズもストーンズもグラムロックもサイケもリアルタイムではなく、写真でしか見たことがありませんでした。

そして、日本でもその時期に流行っていたグループサウンズという音楽には興味を持てないでいました。

だから、私の好きになったロックスターは外人ばっかりでした。

中学生になり、甲斐バンドが好きになり、ツイストやサザンもデビューしました。
でも、誰よりもインパクトがあったのはRCサクセションのキヨシローと、チャボでした。
2人はミックジャガーとキースリチャード、そのままでした(笑)

どぎついメイクに変なアクションで「愛し合ってるかーい?」と客席に呼びかけました。
日本の放送局を相手にケンカして、権力者の奴隷にならずに自由に本当の平和を歌っていました。

彼が歌うと、上を向いて歩こうも、君が代すら、ロックになりました。

洋楽は意味を知らずに、楽曲の格好よさだけで聴いていましたが、清志郎がたくさん和訳して歌ってくれました。
それは、彼ならではの訳詩なので独特の個性があり、オリジナル曲のように心地よく聞かせてくれました。

デイドリーム・ビリーバーもサントワ・マミーもオリジナルの曲を知らない世代に向かって教えてくれました。



音楽界、とりわけロックミュージシャンにとっては、大変ショックなできごとでしょう。
常に前向きで、反抗的な彼でしたから、「癌もロックンロールだ」という名言まで残しました。

後年は中日ファンを公言し、自転車で走り回り、家族を大事にしてずいぶんとイメージは変わりましたが、
ステージでいろんなミュージシャンと一緒にステージに立ち、最後は「雨上がりの夜空に」でエンディングという光景は、日本のロックにおける初めてのスタンダードナンバーになったと、思いました。

昨年、癌を克服して、武道館で復活コンサートを成功させました。
あの美空ひばりさんと、同じく不死鳥のように1回甦って、コンサートで熱唱してから逝くことができました。
スーパースターにのみ、用意された最高の花道だったんだなあと今は思います。

思い出は尽きませんが闘病生活が長引いて、弱りきった顔を見せる前に逝ってしまった彼は最後まで、かっこよかったです。

今後も日本のカリスマロックスターとして、とりわけ野外のロックイベントでは清志郎のナンバーが歌い続けていかれるだろうと思います。

15歳の時に見たステージは一生忘れない最高の思い出です。
心からご冥福を祈り、お礼の言葉を天に贈りたいと思います

彼は日本のミュージシャン仲間に一番愛されたミュージシャンではないでしょうか?
誰もが一緒にステージで演りたかったように思います。

向こうでジョンやジミヘンやジェイムス・ブラウンあたりとセッションして欲しいと思います。

合掌

PS 清志郎を語るときに忘れられないFM東京の歌があります。
歌でケンカしている彼の姿に驚き、より清志郎が好きになりました。
ぜひ最後まで見てください