大阪で仕事を転々とした頃がありました。
何をやっても良い仕事もできなくて望む自分になれないでいました。

当時は大阪港区にあるショットバーに連日通って、そこの友達たちと飲んでいました。
いろんな友達を連れて行き、よく仕事場の女の子も誘っていっていました。

その頃の友達はみんな可愛い彼女がいて、遊び上手で、お金は無いけど朝まで遊ぶことはしょっちゅうでした。カラオケボックスができる前の時代です。
生演奏で歌える店が好きで先輩に連れられて時々行きました。
結構高い店でした。

そして、結婚する友達がいれば、皆で祝おうと、披露宴会場をライブハウスにしてその日限りのバンドを結成して演奏したりしました。

その手のことが大好きな私は、めんどくさい事をよく引き受けて、機材の準備や当日のプログラムまで裏方を務めて、良い様に言えば、企画も演奏も経理も会場の確保までやりました。
悪く言えば、何もしない先輩達のパシリみたいな感じでもありました。

何度も結婚式で演奏しましたが、どれも思い出深いです。
ただ、忘れられない悲しい思い出がひとつあります。

全然親しくない人の結婚式にまでバンドで呼ばれて、先輩に頼まれて生演奏したことがあります。
場所は当時まだ新しかった海遊館のそばの「デッセジェニー」という明石家さんまが名付け親のライブハウスです。

当日は急造バンドで、2,3回だけ練習したわりには、うまくできました。
乗り気ではなかったのですが、演奏したのは全曲ブルーハーツのコピーでした。

そのバンドで知り合ったばかりのキーボード担当の女の子がいました。
あまり会話はなかったのですが、一緒にコーラスなどして、笑顔をかわしたりしました。
ライブが終わったあとは一度も会っていません。

ライブが終わってからほんの数日後に彼女は自殺したと後から聞きました。

友人といえるほどの間柄ではないかもしれないし、葬式に呼ばれるわけも無かったのですが、大変驚いて怖くなったのを覚えています。

遠い思い出ですが、テレビで尾崎豊を見たときに思い出してブログに残そうと思ったので書いてみました。
ブルーハーツの歌はわかりやすくて心にグッと来る言葉もたくさんありました。
未熟な私を勇気付けてくれました。
1曲youtubeから貼り付けてみます。
知り合ったばかりで死んでしまったあの人の思い出のブルーハーツです。