43歳になり、日本で今流行っている曲もわからなくなってきましたが、今までに聞いてきたたくさんの楽曲は私の心を癒してくれています。

思い起こせば幼少の頃から、兄や、従姉妹が聴いていた音楽を横で一緒に聴いているうちに洋楽が好きになりましたが、意味も解らずそのかっこよさに酔いしれてた頃、日本の音楽シーンはまだまだだと感じていました。

その頃は歌謡曲全盛で、演歌歌手とアイドルとニューミュージックとか、いろんな歌手が入り乱れて賞取りレースは毎年年末の楽しみでした。

中学生になった頃は激しくロックに憧れました。
そしてはじめて行ったコンサートはアリスの野外コンサートでした。
とても感動したのを覚えています。
そしてそれから本当にたくさんのコンサートに行きましたが、おっさんになった今よりも感受性も強く、しびれるような感動をたびたび味わいました。
30年近く経った今でも忘れない最高のコンサートの思い出があります。

自分でもバンドを組み、ライブをしたものですが、それは最高とは思えない苦い思い出がほとんどです。
余裕も自信も無いままステージに立ち、必死に演奏してあっという間に終わる。
そんなステージが多かったです。


人生でベスト3といえるライブの思い出があります。
1つは、自分のバンドのコンサートで最も盛り上がった時のことです。
当時高3です。 今でも友人たちは皆覚えている伝説のコンサートでした。
本気で泣いて感動している同級生が大勢いて、味わったことの無い総立ちの超満員のステージでした。

自慢は置いといて、2つめは先輩の結婚式の時のミニライブです。
これも身内しかわからないことですが、20歳頃の最高の思い出です。
そして、もうひとつ、全身しびれまくった最高のコンサートがありました。

RC サクセション 絶頂期の少し前、27年前のコンサートです。
大阪府立体育館で観たド迫力のステージは今でも一番ですね。

その後いくつも派手なコンサートも大物もいっぱい見ましたが、15歳の思春期の私には味わったことの無い最高のパフォーマンスだったのです。

ストーンズやビートルズやその他いっぱい影響を受けた音楽性も見た目も当時はカッコよくて、とにかく好きでした。
今でも多くの日本のミュージシャンの中で別格の尊敬を集める清志郎さんですが、がんの闘病生活中です。
一度、完全復活ということで喜びましたが、その後新たにがんが見つかり休養に入りました。

たくさんの放送禁止ソングを書き、社会の矛盾を歌にして警鐘を鳴らしてくれます。
恋人や家族への愛も大切にしています。
ロック=英語が常識と考えられていたかつての日本の音楽シーンにあって、日本語でもロックのリズムに乗せることができることを教えてくれました。

過去の功績を称え過ぎると過去の人のようで嫌なのでこれくらいにします。
キヨシローが帰ってくることを祈り、再びあの歌声を聴けることを楽しみにしています。
「あこがれの北朝鮮」 なんて曲作るのは他には絶対いません。

昔、ジョン・レノンが作ったイマジンですが、彼が歌うとこうなります。
日本人に愛されているこの曲が彼によってもっとわかりやすく伝わります。
ジョンレノンは喜んでいると私は思っています。

彼の父親はフィリピン レイテ島で戦死したそうです。
平和を望む清志郎の歌を聴いてください