私は昨年の9月にフィリピンから日本に戻りました。
ラーメン屋をやりたくて、フィリピンに移り住んで、1年以上頑張りましたが、
結局、ラーメン屋を開業できないまま、ネットカフェを1件フィリピンで開業して、それで資金を使い切っての帰国でした。
一旦、日本に戻って、もう一度お金を貯めてから再チャレンジしようと決めたのです。
妻はフィリピン人で元ダンサーですので、日本ではタレントとしての生活は経験豊富でしたが、私と結婚してからは働いたことがありませんでした。
私はこの機会に妻も日本で働いてもらい、いろんな経験をさせようと思いました。
とてもぜいたくで無駄遣いが多かった私との生活が普通だと思うとよくないからです。
中野の家に戻って、早速、求人誌を手に、探しました。
実は私自身、求人に応募するなんて、10年以上前にラーメン屋を探したくらいで、その前も自営業でしたから
最近は経験が全くなかったでのです。
妻はもちろんフィリピンの学校でしか学んだ経験が無いので漢字の読み書きはできません。
ひらがなは、わかります。
この時点で、まず採用は難しいと言われます。
何件か面接に行き、断られ続けて、ようやく1件の親切な会社にめぐり合いました。
ところが、場所が中野区から通勤できるような近場ではなく、群馬県と埼玉県の県境でした。
でも、ぜいたく言ってられないので、その会社の寮に入ることにして、入社しました。
入ってみると、いろんな国の方がいて、フィリピン人も数名いました。
私も数ヶ月一緒に働いていましたが、派遣会社に登録して大手の工場で働くと言うのは初めての経験でした。
派遣会社には若い人が大勢いました。
大半は学歴が中卒か高校中退で、元不良みたいなのか、引きこもりみたいな人がたくさん居ました。
社員は皆、大卒で、その間には大きな距離を感じました。身分が違うかのような感じです
私は、すでにおっさんで、微妙な人間関係などとっくの昔に経験済みですので、そんなのは全く気にすることも無く、毎日それなりに誰とでも仲良くやっていました。
気になったのは、派遣社員として働いている多くの人は、若くて健康なのですが、夢を持っていない人と、自信を持っていない人が大多数でした。
私の息子のような年頃の彼らは、すでに豊かな人生を送ることをあきらめているかのように見えました。
将来独立するとか、海外に行くとか、前向きな話を聞く機会は本当に少なかったです。
だから、そういう生き方をすると、世間のニュースや政治にも距離を感じるから興味が無くなり、ますます世の中がわからなくなっていくようです。
フィリピンなんてどこにあるのかって感じです。
一生懸命にいろんな話をしてやる気を注入していました。
あまり、効果は無かったようですが・・
今、大不況によるリストラでこの工場も多くの人員削減があるでしょう。
心配で何名かにたずねてみると、他人事のような感じで「対策も何もどうしようもないでしょう」という答えもありました。
日本はフィリピンと違い、ホームレスにならないように、そんな派遣社員のために救済策を打ち出してきました。
やる気の無さそうな顔でハローワークに向かい一時しのぎのお金を受け取る人が大勢やってくるでしょう。
エリート社員も派遣社員も生まれた時には差はありませんが、長期に渡ってやる気の無い人生を送ると、
同じ人間でも大きく変わってしまうものです。
ラーメン屋になってよかったと思うことのひとつに、こういうことがありました。
お客さんの社会的な地位などを気にする必要も無かったことです。
東京でやっていると、テレビで見た有名な方も来ますし、汗だくの肉体労働の集団も来ます。
ヤクザや、デートのカップルまでみんなカウンターで同じように食べています。
狭い店で特別扱いすることはできません。
常連さんが名刺をくれたら、とんでもない大社長だったりします。
お友達になったりして、広い交友関係を持つことができて楽しいのです。
おいしいというだけで、認めてもらえて幸せを感じることができました。
他の業種でも、努力次第で認めてもらえるような環境で仕事をすることが人間を成長させると思います。
そういう仕事を持てば、向上心も出てくるでしょう。
妻は今の工場が大変居心地が良いらしくて、皆に可愛がられています。
近日中に辞めることになると思いますが、良い経験になったと思います。
大企業の勝手気ままな方針で使い捨てにされるのも資本主義だから仕方ないのかもしれませんが、将来のある若い人にとって希望のあるような職場にできない会社には腹が立ちます。
無能な経営者が多すぎるのでしょうか?
不況と言うのを隠れ蓑にして、自分だけは助かろうとする経営者達に反省を求めたいといつも思います。