場面緘黙。
ばめんかんもく、と読みます。

話すことや聞くことに問題はないけれど、社会のある場面において話すことができなくなる状態を言います。
わざと話さないのではなく、『話せない』のです。

実は、次男の倫忠が場面緘黙であろうと、私は考えています。お医者さんから言われたわけではありませんが、多分そうかな…と。

支援学級ではよく喋ります。
家でも家族相手によく喋ります。
でも、交流学級の3年生では全く話せないでいます。
特に、みんなの前に出て、注目が集まった状態ではピークに達するようです。
一方で、お友達と雑談のような形では喋るときもあるようです。

倫忠の様子で言えば、緊張した状態で、自分が何を求められて、自分は何を言えばいいのか分からないのかな…と思います。
失敗したくない、間違えたくない、という思いもあるように感じます。

場面緘黙は、大人になったら喋るようになるよ。そのうち喋るよ。
と考える人もいるようですが、だからと言って何もしなくていいわけではないようです。

みんなと同じように喋る機会を用意し、無理やりではなく喋れるように配慮しながらも練習することは必要のようです。

倫忠は、学級での朝の健康観察(元気です、と答えます)がその練習の場になりました。
1年生のときから首をふったりの反応を示したり、
小さい声で先生に伝えることを目標にしてみたり、試行錯誤の結果、健康観察の場面では答えることができるようになりました。

話せない状態を受け入れて、じゃあ何ができるか?ということだと思います。
いつの日か、発表会のような舞台で声が出ればいいな~と思ってます😄