何をするにも、何かについて語るにも、
「ぜったい」の枕詞は、感心しないと思うのです。
おなじように、「私は、・・・に全てをかけているんです。」という心持ちも、どうかな?
と思います。
確実さや、懸命さを求めるなというのではなく、微動だにしないものを、心や言動にあまりにも強く求めすぎてしまうと、
結局は、自分で自分を追いつめることになってしまう危険性があるような気がするのです。
竹を割ったような性格_もわるくはないけれど、時々ある竹の節目では、ちょっと立ち止まれるようなゆとりを、
もちたいと思ったりしています。