沖縄戦を巡る旅 旧海軍司令部壕 の続きです。
ひめゆり学徒隊って、言葉は知っていても、内実についてはよく知らなかった。

塔の手前に壕(沖縄ではガマという)があるが、この中で沖縄戦で負傷した患者を昼夜看護し続けた学徒隊。敗戦濃厚となり突然解散命令が下り、動員された240名のうち、半数以上が沖縄戦でなくなっている。

こちらは、ひめゆりの塔の奥にある、ひめゆり平和祈念資料館。ガマの実物大ジオラマもあり、また学徒隊の方の貴重な証言も聞け、戦争の実態を学習できるようになっている。
ちょうどこの日は、常陸宮妃華子さまがこちらを訪れており、供花されていた。
続いて、近くの沖縄県平和祈念資料館を訪問。

こちらの設立理念に感銘を受けたので、紹介させていただく。
1945年3月末、史上まれにみる激烈な戦火がこの島々に襲ってきました。 90日におよぶ鉄の暴風は、島々の山容を変え、文化遺産のほとんどを破壊し、20数万の尊い人命を奪い去りました。沖縄戦は日本に於ける唯一の県民を総動員した地上戦であり、アジア・太平洋戦争で最大規模の戦闘でありました。
沖縄戦の何よりの特徴は、軍人よりも一般住民の戦死者がはるかに上まわっていることにあり、その数は10数万におよびました。ある者は砲弾で吹き飛ばされ、ある者は追い詰められて自ら命を絶たされ、ある者は飢えとマラリアで倒れ、また、敗走する自国軍隊の犠牲にされる者もありました。私たち沖縄県民は、想像を絶する極限状態の中で戦争の不条理と残酷さを身をもって体験しました。
この戦争の体験こそ、とりもなおさず戦後沖縄の人々が、米国の軍事支配の重圧に抗しつつ、つちかってきた沖縄のこころの原点であります。
”沖縄のこころ”とは、人間の尊厳を何よりも重く見て、戦争につながる一切の行為を否定し、平和を求め、人間性の発露である文化をこよなく愛する心であります。
私たちは、戦争の犠牲になった多くの霊を弔い、沖縄戦の歴史的教訓を正しく次代に伝え、全世界の人びとに私たちのこころを訴え、もって恒久平和の樹立に寄与するため、ここに県民個々の戦争体験を結集して、沖縄県平和祈念資料館を設立いたします。
沖縄戦の何よりの特徴は、軍人よりも一般住民の戦死者がはるかに上まわっていることにあり、その数は10数万におよびました。ある者は砲弾で吹き飛ばされ、ある者は追い詰められて自ら命を絶たされ、ある者は飢えとマラリアで倒れ、また、敗走する自国軍隊の犠牲にされる者もありました。私たち沖縄県民は、想像を絶する極限状態の中で戦争の不条理と残酷さを身をもって体験しました。
この戦争の体験こそ、とりもなおさず戦後沖縄の人々が、米国の軍事支配の重圧に抗しつつ、つちかってきた沖縄のこころの原点であります。
”沖縄のこころ”とは、人間の尊厳を何よりも重く見て、戦争につながる一切の行為を否定し、平和を求め、人間性の発露である文化をこよなく愛する心であります。
私たちは、戦争の犠牲になった多くの霊を弔い、沖縄戦の歴史的教訓を正しく次代に伝え、全世界の人びとに私たちのこころを訴え、もって恒久平和の樹立に寄与するため、ここに県民個々の戦争体験を結集して、沖縄県平和祈念資料館を設立いたします。



最後は、オスプレイが配置されている普天間基地。その普天間基地を展望できる宜野湾市にある嘉数(かかず)高台公園からのショットです。
こんなにも住宅地に密接しているんですね。その騒音といったら、住民でないと分からないほどのものだと容易に想像できます。
この後は、沖縄で一番ホットな場所でお仕事。
日本における米軍の基地問題。沖縄だけの問題でもない。日本国民全員が考えないといけない問題だと改めて実感しました。
