前回書いたように2018年は我々にとっては大勝負の年でした。

その勝負も終わり、少しゆとりのできた2019年。


義母も父も徐々に弱りながらも穏やかに過ごしていました。


夏を過ぎた頃から義母がいつ行っても寝ているようになります。

これは昼夜逆転だとか、鬱だ、とかではなく、木が枯れていくような、そんな弱り方でした。

もう、どうにかできることではないようです。


そして10月末、意識混濁。

食事もできなくなりました。


点滴をする為に施設目の前の病院に搬送。


しかし…。

11月7日、意識がない、血圧も下がっているとのこと。

いよいよか…

家族で病院へ。


11月7日 20:10 義母、永眠。享年94歳。

死亡届の死因の欄には「老衰」

この時代に病名ではなく「老衰」と書かれるなんて、本当に大往生です。


それでも。こんなに呆気ないものなのか。

あれほどみんなの後を追いかけていた義母。

もう追いかけることもない…。


義兄も駆けつけました(そういえば義姉は来なかった!)


斎場を決め、お坊さんに連絡。


今日が7日の22:00頃だから、お通夜が8日、お葬式が9日かな…


ここでミラクルが起こります。

お坊さん、申し訳なさそうに「すみません、実は今日、3人の方がうちの檀家さんで亡くなったんです。こんなこと今までないのですが、1日に4軒のお葬式はちょっと難しくて…。申し訳ないですが、1日ずつずらしてもいいですか」と。


実は、2番目の義兄、イギリスに出張中で、どんなに急いでも9日にしか帰ってこれない。

そして私、ピアノ演奏の仕事、舞台が9日にありまして、どうしても出ない訳にはいかない。

お葬式が10日だと、みんなゆったり落ち着いて参列できます。

しかも9日土曜日、10日日曜日。

仕事も休まず孫達も参列、息子も学校も休まず。


全て義母がみんなを思ってしてくれたのではないかと思います。

あれだけ心配性の義母。

やっぱりみんなに会いたかったのでしょう。


まだコロナもない頃。東京、千葉からの親類も間に合い、皆で送りました。


私は平気だと思っていたのですが、お坊さんがお通夜後のお話で「三男さんのお嫁さんが…」と、私が介護をしたこと、仏壇を義母に代わり守っていたこと、などを言って下さり、なぜか急に体の力が抜け、泣けて泣けて仕方なかったです。

私をこのように見て下さった方がいたことに安堵し、義母を思い出し、涙が止まらなかったです。



息子、七五三の写真。義母と。
この写真を遺影写真に使いました。


こうして無事にお通夜とお葬式を終えました。

そして斎場で初七日まで行い、精進落としの会食です。


その時私のスマホに電話が…


つづく