義母は認知症が進みつつ、デイサービスを週に2回、月に1回だけ我々の休憩にショートステイの土日、といったペースで日々行っていました。
眼球摘出した2011年からで、この時で2016年になっていました。
主人には兄が2人います。
長男夫婦は車で30分ほどのところに住んでおり、市役所勤務。
次男夫婦は遠く、飛行機を使って行き来しないといけない場所にいました。
この介護の間、金銭的にも身体的にも一切の援助ありまっせーん
まあ、遠方の次男夫婦は仕方ないと思っています。義兄も義姉もいい人ですが、ちょっと遠方すぎ。
しかしっ長男夫婦〜〜!!
住まいは車で30分ですが、義兄の勤務先は当時、我々のところから徒歩圏内でした
もっと顔ださんかーい
とはいえ、彼は役所でも結構上の位の方でして、我々自営業の下々のことはわからず
店の経営状態が良くないと主人が言った時は「おまえのやり方が悪い」
義母がこんなことするんですよ〜、と私が言った時は「歳なんだから仕方ない」とバッサリ切って下さいました
さすがでございます。
私たちは義兄の部下かーい
ということで、義兄にも期待せず。
お願いする気もございませーん
そして義姉はこの間、いっっっさい顔出しません
母の日にはさすがにお弁当持って挨拶にはきます。
まあ、30分で帰りますね。
親族という感じがしませーーーん
仲が悪いとか、喧嘩したとかもありませんよ
だって、私たちが大人なんだもーーーん
まあ、相続に関して大きく口を出すこともなかったので(一応会社経営の家だったので)基本的には良好な関係でした
その頃の父はずっと病院ですので特に急変することもなく、安定しておりました。
半年に1回あるカンファレンスで私は常に「穏やかに過ごせるように」と言い続けていました。「できるだけ苦痛のないように」と。
父はここの入院患者の中では大変穏やかでいつもにこにこしており、看護師さんに人気でした
ちょうどこの時期が以前書きました、実家片付けの時期と重なります。
そして、父の病院から「ここは病院なので、本来ならばそんなに長くいることはできない。施設の申し込みをしてほしい。」と言われました。
最初からそのようなことは言われていましたが、この病院は昔から「老人病院」などと地域では言われていて、最期まで看てもらえるかな、と思っていました
やはりそういうわけにはいかず
今は国の方針でそうなっちゃったようですね
もう実家もないし、実家近くにこだわることもないため、やはり私が通いやすい、自宅近くの老人介護施設に申し込みをしました。
2016年のお話です。
つづく