息子の推薦入試が終わって2週間……まだまだ合格発表まで2週間以上あります。
長い……。

ということで、息子話からは離れて(気持ちの現実逃避(笑))、次なる私の備忘録のお題は…



         親の介護と        看取りチーンチーンチーン

前回までの実家の片付けと時間的には被っています。
考えてみたらあの頃は通常の仕事、子育て(まだ息子は小学生)、家の片付け、親の介護、等重なってたんですね〜。
いやあ、頑張った私。
朝は4:00起き、寝るのは夜12:00。
強靭な体力と精神力ですが、今思えばギリギリだったのかなあ、と。

当時、私は弱音を吐けませんでした。
いつも「平気平気」と言って笑ってました滝汗
そんな私がこの「親の介護」は人間として成長させてくれた出来事だったなあと振り返ります。

私と同世代のアラフィフの皆さんは、只今親の介護真っ最中の人や、これから迎える方々が多いと思います。
そんな方々が少しでも楽になれたら、私の経験がお役に立てたら、と思うのですおねがい


それでははじまりはじまり〜(笑)

まず、介護が始まる直前の状況です。

私の嫁ぎ先は自営業でして、私はピアノの仕事をしながら空いた時間は、嫁ぎ先の会社事務全てと接客もしていました。
だから朝4:00〜会社事務
9:00〜店での接客
15:00〜20:00ピアノ教室
といった毎日。

義父母のうち、義父は既に他界。
当時の住まいは、
3階建てビルと2階建て鉄筋、2階建て工場がくっついていて、3階建てビルの3階が主人の実家=義母1人住まい
2階建て鉄筋に我々夫婦家族が住んでいました。

義母とは店で毎日顔を合わせます。
80代のお洒落で頭の良い義母で、お互いそれなりに思うところはあったでしょうが、比較的良い関係だったと思います。


さて、私の方の両親ですが…。
私は一人っ子で、かなり高齢な両親でした。
義母と父が同じ年齢でしたが、私と主人が10歳違うので、(しかも主人は三男)私からしたらおじいちゃんといってもおかしくない年齢でした。
母は体が強くなく、病気ですでに他界していました。
父は母が先立ってから元気なかったのですが、仕事もありましたし、なんとか1人住まいで頑張っていました。


とりあえず義母も父も元気だった今から10年前。歯車が狂い始めますショボーン

つづく〜