【解体さる、テヲQ2165はかく語りき】を観てきた。
劇団Lacrimosaの演劇で初鑑賞。
アンドロイド、ロボットと聞くと心がときめく。
《ロボットとは何か――人の心を映す鏡》石黒浩
《ロボットは涙を流すか 映画と現実の狭間》石黒浩
『さようなら』深田晃司
『イヴの時間』吉浦康裕
《屍者の帝国》伊藤計劃×円城塔
『planetarian~ちいさなほしのゆめ~』津田尚克
《未来のイヴ》ヴィリエ・ド・リラダン
↑挫折...
【ギアーGEARー】ギア
『エクス・マキナ』アレックス・ガーランド
魂の無い物に魂を見出そうとするのは人の常だろうか?
これらの作品は人間と魂の無い物との間に芽生える”心”がテーマになっている。
人形には亡くなった人の魂が宿る、というのは怪談の世界ではよくあるパターンだし、ロボットやアンドロイドが反乱を起こして人間を襲う、というよくあるプロットもロボットに「人間を殺させたい」という意思がある、と思いたいからだ。
ロボットを人型に近づけようとする学術的研究があることを考えても、魂を入れたいと人は願っている。
魂の無い物と”心”という関係性を築きたい、と人は願う。
血の赤を綺麗だと感じ、死者の頭を膝に乗せ、その頭をなでる。
そんなサイコな行動をとる殺人アンドロイドにさえ躊躇いやジレンマ、優しさ、恋心まで持っていてそこに”心”があったと、それが仮に錯覚だとしても魂を持っていると願う。
彼女がいう「生きたい」「覚えていたい」という言葉に意味はない。機械の戯言だ。それでも人間はその願いを叶えようとする。
皮肉なことに人間の魂こそ、不完全で理解しがたいものはない。
魂の無い物と人間の間に心が通い、友情、恋が目覚め、一緒に笑い泣く。そんな未来はそう遠くない日に来ると思う。
ただ、その”心”は人間からの一方通行でしかないのかもしれない。
そう思うと僕は少しさみしいと感じるのだ。