こんんちは、すごい雨と風でしたね。

 

 春の嵐といえばそれまでだけれど、明らかに昔に比べて気象が荒れ気味だと感じます。

 

 

 今日の桜。

 雨で花びらが、しんなりしちゃってる。

 

 現在わたくしは、お酒を飲みながらこれを書いております。

 あまりにお酒を飲まなさすぎて、賞味期限が去年の12月に切れちゃってたので、もったいないからと言う理由と、流石に賞味期限が切れたお酒は他人に譲れないため、飲みたいわけでも無いのにミチョで飲みやすく味を付けて昼間からお酒を飲んでるよ。

 

 

 最近めっきりニュース以外と観たいアニメと中国ドラマ以外はテレビを観なくなりました。

 

 

 特にバラエティーとかは観ないのだけれど、昨夜たまたまドンキホーテのオープンの裏側に密着という番組をみてたら、ドンキに行きたくなって行っちゃったよ。

 

 

 でも買ったのこれだけ。

 きなこチロル餅のクッキーって、どんなんよ? って興味津々とカレースナックは子供の頃の駄菓子屋さんで買う定番品でした。

 

 

 さて、昨日この本を読破したんだけれどね。

(今日返却して、代わりに新しい本でも探して借りようと思ったら、図書館お休みだったから何も借りれませんでした。)

 面白かった。というかすいすい読めた。

 

 

 内容はね、45歳になる主人公の男性は、日々鬱々とした気持ちを抱え。

 真面目に生きる自分と違ってルールを守らない身勝手な大勢の他人に苛立ちを募らせながら、なんとかマッサージ師の仕事をして生きていた。

 

 でも45歳になれば、自殺しても生命保険金が下りるので45歳になったら、生きるのをやめようと思って暮らしている。

 

 なんとか45歳まで生きていく気晴らしに、新しく買った自転車でサイクリングを楽しむことでストレス解消をするも、代わり映え無く続く毎日、自転車で公園に行くくらいしか楽しいことも無く、ルールを守らないのに強きな態度を取る他人の迷惑行為に苛立ちながら生きている。

 

 なぜ生きるのをやめるかというと、とにかく他人にいらだってて、いつかその我慢が限界を超えたら、自分が犯罪者になってしまいそうだから。

 

 そうなるまえに生きることをやめて、生命保険金を残された身内に残してあげたい。

 

 そう思いながら、日々生きている彼。

 

 母親から他人に優しくと教え込まれた幼少期。母親から別れた夫、彼の父親の事に対し悪口しか聞かされてなかった息子でもある彼は、自分が家庭を持てるとも思わないまま生きている。

 

 親に、自殺では無く生きるのを止めようと伝えると、母親が理解できない言葉を放った。

 

 その結果45歳になる直前に、アパートの自転車の駐輪場のスペースの奪い合いで、忍耐袋の尾が切れて暴力事件を起こしてしまう。という話。

 

 

 

 

 こういう人って、現代の日本に大勢いる気がする。

 

 例えば電車に飛び込む、とある一人の日常を書いてみた。

 といわれたら、そうなんだ。って思っちゃいそうな。

 

 最近の作品の傾向なんだけれど、ほぼコロナのことが絡めて書いてあるから。

 それもなんだか面白いというか、この時代ならではだなって思う。

 

 

 

 コロナも現状のほぼ終わってみたら、過去ものもみたいな感じだけれど。

 

 緊急事態宣言が出た頃って、戦々恐々としてた部分もあったもんね。 

 密にならないとか、会話をしないとか、マスクは必須とか、またウーバーなどの配達員という仕事が注目を浴びたり。

 

 そういうことを絡めて書いてある小説が多いよ。

 

 

 

 そうしてコロナ貧困に焦点を当てた作品が多い。

 とはいっても、元々ギリギリの暮らしをしていた人が、コロナで収入が減り困窮するパターンばかりだけれど。

 

 

 

 コロナ貧困とは無縁だったから、その点私はラッキーだったのか? 

 

 

 そもそもコロナ貧困なんて本当にあったのか? って私なんか思うくらい、私の周りにはコロナ貧困の陰も形も無くて、我が家も、ほぼ通常通りで可も無く不可も無くだったけれど。

 

 

 逆に自営業の友人らからはちらほらと真逆で、コロナ給付金が入り、棚ぼたのボーナスだったと喜ぶ声の方が多かった感じ。

 

 

 でもきっと、小説に書いてあるようにコロナによって貧窮した人もいるかもしれないし。

 そういう人たちの一部が、この小説の主人公みたいに生きることを諦めてしまったり。

 自ら命を絶つことが増えたのは電車が止まるニュースが毎日のように流れてくる事から、把握は出来る。

 

 

 ただ、この主人公も言っていたが、他人に迷惑のかかる自死はよくない。

 可能な限り社会に迷惑をかけずに人知れず消えていきたいと。

 

 

 私的にも、電車を停めるのは良くないと思うから。

 

 

 せっかく日本の鉄道会社は、世界的に類を見ない正確なダイヤで運行しているのに、そういった不慮の事故の影響でダイヤが乱れるのはとても残念だと思うし、掃除する人も嫌だろうに。

 

 

 とはいえ、電車に飛び込んで亡くなる人たちは、この世に生きる幸せそうな人(自分以外)の大勢を憎んでいたりするから、自分の命と引き換えにしてでも、この世に仇を残していきたいのかなって。

 

 

 自殺をするのは人間だけだし。

 

 

 生きてる意味とか理由とか深く考えたり、周りはみんなよく見えて、自分だけ不幸に感じたり、衝動的に死にたいって思うのも人間だけかもね。

 

 

 猫はきっと、死にたいとか、他猫の暮らしと比べないよね。

 

 

 誰かのために死ねないってことは往々にしてあるから。


 死にたいと思って死ねる人は、他人より自分のことを一番に考えて行動できる人でもあるので、その点は強みでもあり恵まれている事でもあるんだよね。

 

 この世には、自分の意思で、逃げ死にを選べない人もいる。