続きです。

 ずっとこの子を膝に乗せて書いてます。



 

 N先輩は、言いました。

 

 

『でも実は、全く違うってわけじゃないの。』って。

 

 

 なにが? って言う感じの顔をしたら続けて言いました。

 

 

『実は私、少しそういうところあるみたいで。ガスの元栓とか何回も確認しちゃうし。玄関の戸締りも確認しちゃうよ。』って言うから、『確認するって5回も6回も確認しないでしょ? それにまー、心配性の人なら、1,2度くらい確認するんじゃないの。』とね。

 

 

 そうしたらN先輩は、『1度や2度ばかりじゃなく、もっと確認しちゃうこともあるから、まったくソレ(強迫性障害のこと)じゃないとも言いきれない。特にガスは心配になる。だからといって病院行ったりとか、そういうことは全然なんだけどね。』

 

 

 って告白したので、驚いた。

 

 

 今まで20数年以上、友達付き合いしてるのに全然知らなかった。

 

 

 わたしなんか逆に、鍵かけ忘れて家に戻って鍵開けたら、かかってなくて鍵かけちゃったことあるくらい、そこらへんわりと平気なんだけれどね。(今日もローソンに出掛けて帰ってきたら鍵開いててまたやっちゃたし。)

 

 

 ただ一度夜中に、家に一人で居る時に玄関のドアを酔っ払いか誰かに、ガチャガチャ開けられそうになったことがあって、凄く怖い思いをした事があって。

 夜の戸締りだけは寝る前に1度しっかり確認はするようにしている。でも、1度確認するだけで、再度確認したことはない。

 

 

 N先輩は、去年あたりにも、私が抜け毛が多くて心配だ。って零した時に。

 

 『実は育毛剤を使ってる。』って暴露してくれたことがあり、その時も、そうなの? って凄く驚いたんだよね。

 

 

 私はあまり隠し事をしないから、ざっくばらんになんでも言っちゃったりするけれど。(あまり深刻そうじゃないようにね。抜け毛がヤバい話も、そのうちアートネイチャーに行くかもしれん。とかそういう感じで話したし。)

 

 

 わたしみたいに何でもかんでも話す人も居るけれど、そういう事に対してマイナスなイメージを抱いている人ほど、他人には言わないようにするんだろうな。って思ったりしたものだ。

 

 

 なので今回の事も、メンタルの不調をK子に打ち明けられたけれど、『そういうことは私にはよくわからないから。』と返したN先輩。

 

 

 なぜか私の対処法(名前は隠してのブログを始めて同じ病気の人と親交を深める)をアドバイスとして勧めたN先輩。

 

 

 その対応は間違ってはいないけれど、多分、この話が出なかったら絶対打ち明けてくれなかったと思うし。抜け毛の時も私が悩んでるから、実は自分もそうなんだよ。と言えたんだと思う。

 

 

 まーそれはさておき、K子の相談に戻るのだけれど。

 

 

 そのラインのあと、今度は直接K子から電話がかかってきたそうだ。

 

 

 普通なら23年ぶりに連絡を取り合う友人ならば、近況報告とか? 元気にしてる? から始まる挨拶のような話題が出るものだと思うが。

 

 

 K子は、23年ぶりにN先輩にした電話で、彼女が話した内容は驚くべきものだった。

 

 

 その内容は。『今、お店屋さんのトイレにいるんだけれど、便座が冷たいんだけれど、お尻洗った方が良いかな?』だったそうで。

 (強迫性障害で手だけじゃなく、あらゆる部位が気になるのかも?)

 


 N先輩も、あまりにも予想外の要件に驚いて返事に困ったそう。

 

 

 23年ぶりに電話してきて、聞いてきた内容が。外出先のトイレから、冷たい便座に触れたからお尻を洗った方が良いか? って。

 

 

 そこだけ聞くと、K子は相当病んでるなって察せられたよ。

 

 

 

 それにどう返したか、詳しく聞く前に私はN先輩にアドバイスをした。

 

 

『気を付けた方が良い。メンタルの不調の人を支えるのは大変だし。(ともう一度繰り返し)優しくするとすぐ依存してくるから、依存される相手に選ばれた場合はかなり大変だよ。そもそも25年以上ずっとK子は治療をし続けてきたのに治らなかったわけで、もう病気の期間の方が病気じゃない期間より長い。こうなると、もう治らないって考えた方が良い。それに、これだけ時間が空いているのに、突然N先輩に連絡してくるって事は、今までK子の話を聞いたり支えてきた人がみんな逃げ出したって事だと思う。それで、誰も居なくなり、N先輩に連絡してきたんだよ。』とね。

 

 

 でもアドバイスを受ける前から、N先輩ももうすでに3回の連絡があっただけで、ちょっと困りつつのうんざりしているようで。

 

 

うん、だから4回目の連絡が合った時。自宅にいて、電話に出れたけれど、あえて出なかった。』って言ったの。

 

 

 多分普通の人は、たった4回目でもう嫌になるって事かぁ…って思った。

 

 

 でもそのまま無視はせずにしばらく経ってから、ラインで『電話に出れなかったごめんね。なんだった?』って送ったら。『もう解決した。』って返信が来たてホッとしたって言っていたけれど。

 

 

 もうすでにK子からの連絡に困っている様子が伝わって来た。

 

 

 私自身、母が亡くなるまでのブログでは、毎日のようにヘドロまみれの泥沼にはまっているような状態が続いて、抜け出せない蟻地獄でもがき苦しんでて、毎日、毎日、ブログに心の澱を吐き出していた。(過去ブログはそのことで埋め尽くされている。)

 

   電話恐怖症になり、電話線を引っこ抜いたりもしスマホの電源を切ってたくらいだ。



 あれはブログだから吐き出すことが出来たのであって、それをN先輩とかに伝えていたら、多分、2,3度話しただけでうんざりされたと思う。

 

 

 『もうそういう暗い話は聞きたくないから、一緒にランチしてても楽しくないから。』って言われて会う回数が減ったかもしれない。

 

 

 私はそう言う事まで思考を巡らせて、実際の友人知人にはあまり深い内容を、重たい話はしないようにしようと思って言わないようにしてた。だから、私があれほど苦しんでいたことを知る友人は居ない。

 

 

 言わなくて正解だったと思う。

 

 

 今回の甲状腺の腫瘍が育って来てる話とかも、全然言わないようにしている。

 

 

 流石に再手術になったら伝えるけれど、基本は言わない。

 

 

 癌になって手術したことは、基本はもう終わったことのようにして友人らと会っている。

 

 

 このブログでも癌の記録としてブログを始めたが、ほんの最初だけで、そのあとは自分のことより、父と母の介護に明け暮れて翻弄されるブログに変わってしまい、自分自身の癌のことは滅多に書かなくなった。(滅多に書かなくて良い状態でいられることが前提ではあったが。)

 

 

 でもかといっていつも再発の恐怖がゼロなわけじゃないし。

 前回、細胞診を勧められている以上、常に頭の隅にはそのことが引っかかってはいる。子宮のがん検診を受けるたびに、今回は大丈夫かな? と1週間はちょっと冷や冷やしながら過ごしているし。

 

 

 そういうガンという病気のリスクを抱いたことが無い人に比べたら、リスクがある分、どこかしら常に心配はある。

 

 

 登山に勤しむのも、いざまた手術することになった時に備えて、心肺機能を鍛えておきたいという目論見もなきにしもあらずである。

 

 

 だが、それを誰かに話したりはしない。

 

 

 ただ登山YouTube動画を見て、自分も興味を持った。と伝えているしそれもそれで本当のことだから。

 

 

 夫にだって言ってない。

 

 

 私の心の中に基本は留めて、たまにブログに弱気になったりしたときボロっと吐きだしたりはしているが、常に悲嘆にくれているわけじゃない。

  

 セルフカウンセリングしたり、自分が好きなことをして自分を癒したり。愚痴ることも多いけれど、弱った後は基本は自分で自分を立ち直らせるように努めてる。


 

 私自身の病気の事より、私は母の病気を治す事、背負う事の方がずっと重荷で使命感が強くて必死になっていた。

 

 

 でも、メンタルを病んだ母は、結局全然良くならなかった。

 

 

 18年間治療したが、寛解に至る前に亡くなってしまった。

 

 

 K子もそうとは言わないが20年以上ずっと同じ強迫性障害と付き合っていて、まだその付き合い方を学ばずに、婚約者が見切りをつけたように、私にを悪者にしたような妄想に取りつかれたように、そうしてそれで周りの人が離れて行ってしまったように、きっと今もずっと同じことを繰り返してるに違いない。

 

 

 今いる人が誰も居なくなり、そうしてN先輩まで頼って来たんだろう。

 

 

 もう一人、なみちゃんという高校時代に統合失調症に罹った同級生が居て、ブログを書き始めた最初の頃にその子の事を書いたことがある。

 

 

 彼女も何時間悩みを聞いても、アドバイスをしても、全く変わらなかった。

 

 

 ずっと同じ悩みを繰り返し。ずっと同じ失敗を繰り返し。そうして一番大事なのは自分みたいだった。

 

 

 自分の事を一番にしすぎるあまり、世界の中心は自分になっているようで、他人の気持ちをおもんぱかることが出来ないのだ。

 

 

 そりゃ手を洗い続ける事が辞めれない事も、本人にとっては深刻な悩みだと思うが、だからと言って周りの他人が自分を支えてくれて当然だとか、自分の方が辛いのだから悩みの相談に乗ってもらって当然だとか思う考え方自体が、病気を治すのを妨げているんだと思う。

 

 

 自分の為より、他人の為、誰かの為に行動した方がメンタルの病気は治るんじゃないかな? って私はそういう結論に達している。

 

 

 自分が一番不幸だからと、自分より不幸な人たちは見ないふりで、自分より幸せに見える人ばかり羨み続けている。

 

 

 ずっと上だけを見て羨んで、たまに妬んで、思い通りに行かないと裏切られたと被害者ぶる。

 

 

 もっと苦しんでいる人。もっと悩んでいる人。もっと辛い人も一杯いることに気が付かない。

 

 

 だからいくら治療しても、薬を飲んでも、カウンセリングを受けても、自分自身が病気になった時から変わらないから、当然病気も良くならない。

 

 

 良くならないどころか、薬の副作用も加わり、より悪化することすらある。

 

 

 他人は冷たいものだ。

 

 まして血のつながらない友達なんて、お互い何かしら楽しいなど利害があるから友達付き合いしていられるんだ。

 

 金の切れ目が縁の切れ目というように、友情にだって限界がある。それが浅いか深いかは人それぞれ。

 

 

 運よく健康に恵まれた人には、病気の辛さはわからないように。同じ病気になった人にしかわからりあえないことがよのなかにはある。

 

 

 N先輩は健康だし。お金の苦労も全く無いし。見た目も綺麗だし。本当に恵まれた人生を歩んでるなって感じる事がある。(不妊治療しても子供が出来なかったことだけは本人的には残念なことかもしれないが。)とにかく基本、余裕がある人生を歩んでいると思う。

 

 

 それに比べ私は貧乏な家に生まれ、進学もままならず。結婚した夫は20代で3000万円の負債を抱え。ど貧乏な新婚生活からスタート。今みたいな暮しの余裕は無くて生命保険だって解約しくらいだ。

 それ+早くから病気の親を支え、自分も病気になり。早くに両親を亡くし、頼る親族も居ない。

 頼れる人が居ないから夫と二人、自分らで頑張る以外仕方がない。

 

 

 誰も頼らずに自力でその不運というか不幸な状態から脱出するように進んで努力するしか無かった。

 

 周りが当たり前に生まれた時から手にしているものを手にするのも、時間がかかった。

 

 

 そんな状況だから、別にN先輩以外にも多くの人が私よりマシな人生を歩んでいると思うが、かといって現在私はそんな自分を不幸でしょうがないって常日頃から嘆いて過ごしてはいない。(それどころか多分、最近のブログやインスタだけの投稿を見てるとお気楽主婦のブログになってると思うしね。)

 

 

 M先輩はほんとうに恵まれた両親に、自身に子供が居なくても甥っ子や姪っ子がいて家族仲も良く、夫になる家族は裕福で、玉の輿に乗ったし。そのうえ薄毛で悩む程度しか健康の悩みも無いのだ。

 

 

 そんな余裕がある人生を歩んでる人でも、K子からの連絡が3度でうんざり。

 

 

 4度目は無視したわけなので、悩みなんて1度や2度零せるくらいで止めておくのが正解なんだろうと思う。

 

 

 私は一般的な人よりは多分、生きて行く上での辛さを多く知ってる。

 

 

 だから、他人の辛さに共感しやすいし親身になったりすることは苦にはならない。

 

 

 でも、どれだけ与えても親切に思っても、自己中メンタル病人間は簡単にこちらを裏切るのだよね。

 

 

 K子で学び(強迫性障害)

 なみちゃんで(統合失調症の子)で学び。

 母(心気症、不安障害)で学んだ。

 

 

 N先輩なら私がアドバイスしなくても、多分、勝ち組ならでは人生だからこその、弱い人の気持ちがわからない無意識かつ無慈悲の冷淡さでK子を切り捨てる事が出来ると思うが。

 

 

 とりあえずは親身になりすぎると、依存されて厄介だと思うよ。気を付けてね。とはアドバイスしてこの話はおわりました。

 

 

 でもK子も、可哀そうではある。

 

 

 きっとK子なりに努力はしてきたんだと思う。


 ただ、努力が空回りしているか? きちんと自分と向き合い変われなかったか? それ以上の不幸、大変な思いをする事が無く(その点は恵まれているかも)ずっと強迫性障害に取りつかれているのだろう。


   そんな状態だから、きっと婚活もうまくいかなかったんだろう。

  


 

 東日本大震災の時、うつ病患者が減ったという。

 

 

 生きるか死ぬか。大災害の本当に究極の状況では、うつ病だろうが健常者だろうが関係ない。

 

 

 もう誰もが死と隣り合わせで、食事も贅沢出来ず。避難生活ではろくに熟睡も出来ない。いわば強制的な鬱状態の暮しを強いられるわけだから。

 

 

 そこで鬱だと言う人が。平時の時みたいに。やれ死にたいだだの。やる気がないだの。眠れないだの。で病人ぶってもいられないんだろう。

 

 

 荒治療だが、病気に病気をぶつける。これも一種の治療法かも知れないね。

 



 私はメンタル弱めの人に、依存されやすいタイプみたいだから、K子が早い段階で妄想で私を嫌い離れてくれたのは良かったかもなぁ。

 そうで無かったら、かなり依存されてたかもしれません。

 何より、妬みと妄想のせいとはいえ。ぱいももに虐められたって作り話を、あちこちで言いふらされたのは悲しいしね。

   



 ちょっと長めのブログを書いて、肩こっちゃったよ。

 

 

 おわり。

 

 

 明日岩盤浴に行く予定だったけれど、また外食続きになるから来週に延期しようと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

   オマケ、過去記事。

 なみちゃんについて書いた記事。

 ①から13回まである。