母シリーズ12

あと、この話の時期は今より三年前の秋です。


M医師へ手紙を書いたけれど、返事は特になくて…。
とりあえず、母に呆けたような症状がある事と、躁状態が起きているようだ。の二点は伝わったはずだと思って、しばらく様子を見ました。

しかし、一向に母が良くならず、母の薬をチェックするも、母の薬の量があまりにもありすぎて、〔20種類くらい〕よくわからなかった。

そこで市役所にも相談に行ったんだ。【すみません、やはり順番逆でした】

そこで市役所から、障害者年金の話と、自立支援の話を受けて。

でも障害者年金は年金の関係で受給出来なくて、せめて自立支援だけでも受ける事にしたのだけれども、自立支援を受けるには、医師の診断書が必要な為、そこで直接M医師へ会いに行く事にしたんだ。


母には、母みたいにずっと精神病んでいる人をサポートしてくれる公的な支援がある事。
母ならM医師が診断書さえ書いてくれたら、まず受給できる事。
そうして、バイトで土曜日しか居ないM医師では無くて、出来ればM医師にメンタルで通うのを辞めて、別のちゃんとした心療内科にかかった方が良いことを、母の調子が良い時に、機嫌を損ねないよう気をつけながら何度も説明しました。


夏から2ヶ月くらい、気を遣い続けて、結構ヘロヘロでした。

 頭の中は朝から晩まで母のことを悩み、不眠症になってしまいました。

 常にネットで躁鬱病のことや、通える範囲のメンタルクリニックを探したり、母に振り回されたりして、この時期は体半分は鬱になってましたね。


 兄にも何度も連絡して、私が休むために、たまには母の話し相手くらいして欲しいとお願いしたりしてました。まぁそんな優しい人じゃ無いけどね。


母の糖尿病の食事制限もあり、母の食事に注意したり。


自分の時間はほとんど無かったです。
この自分の時間が無いくらいの時期は、家を出る前後でさらに悪化して、去年の夏まで2年間も続きました。

今も相当母に時間を費やしておりますが、その2年は今の3倍、1ヶ月28日は母の為に過ごしているくらい大変でした。


なんか私の30代は、母の為に費やされて、今はとても自分の人生を無駄にした感で、なんとも言えない気持ちになったりします。
諦めたことが多すぎて、周りの普通な楽しく生きている友人。子育てにしても、仕事にしても、遊びにしても、親の介護や世話をしている世代ではまだ無い為、

『なんで私だけこんな苦労するんだろう…。』

と思ってばかりでした。

特に仕事は、子供がいないのにも関わらず、誰でも出来るパートで。母は私が結婚してから症状が悪化した事もあり、独身の頃みたいにまともに働く事も出来ず。やり甲斐のある仕事に就くとか、スキルアップも出来ず。
日々行う事は、母の気持ちを落ち着かせる為に相手をして。
学ぶことは、母の病気のことばかりで、世間から30代にて取り残された感があり、人生を無駄にしたなぁ。って今は後悔しております。


でも毒母の望みが、私が不幸でいる事。母から離れないことだったし。すっかり洗脳されていたから、その頃は母の為に生きる事に疑問すら抱かずにいた。
あくまでも、今振り返れば、無駄にしたなぁ〜と悲しく思うのだ。


では、話を戻します。


M医師は、母の高血圧。C型肝炎。糖尿病。風邪とかも、メンタル系以外にも沢山診てもらっていた為、機嫌を損ねて全部の診療の受信拒否をされては困る。
もし機嫌を損ねたら、それぞれ診てくれる病院に移らねばならなくなり、そうなるとまた通院先が増えてしまう。

しかし、結果的に、プライドの高いM医師はやはり機嫌を損ね。母に「もう診ないから」「糖尿病は自分では知識が足らない、他に行きなさい」とかを言い、母がさらに落ち込む事になって。

本当にM医師は最低なヤブ医者である‼︎


実際、肝炎の件でちょうど通っていた為、糖尿病も市民病院に紹介状なしで掛かりましたが、またその医者が母と相性が悪くて、、、。

結局、頭を下げて、M医師から糖尿病の薬を出してもらう事になりました。が、この件まで書くとやたら文章長くなる為、母シリーズのブログでは鬱病の方をメインに展開してゆきます。


私が土曜日の母の診察日。職場の仲間に事情を説明して、土曜日の休憩時間を増やしてM医師に会いに行きました。
母に付き添う形で行き、母の診察後、話があるからと2人で話す事になりました。


そこで、過去記事でも書いたことありますが、M医師に言われた言葉。
あの手紙で、どれだけ困っているかを訴えたにも関わらず、M医師は言い放ちました。


「娘さんが、我慢したら済むじゃないの」

ってねー。

最低すぎる ‼︎ 
駄目だこいつ ‼︎ 
って確信しました。


M医師は二週間に一度、土曜日にたった3分間母の相手をするだけでお金まで貰えて楽でいいけれど。私は同じ家に住み毎日母に振り回されていて、12年我慢して、我慢の限界だからこうして訴えてきているのに。それもM医師の治療ミスが原因なのにも関わらず、下手に出ているのに。


M医師が言うには、母に色々投薬したが、もう手に負えない、戻せない。でもその実害は娘さんが我慢したら済むだけだよね。と言う事で。

「お母さんを、子供だと思って相手したらいいよ」

とも言われました。


私は内心、絶対この人にこれ以上母のメンタル面を任す事は出来ない。絶対新しい病院探さなければと、それまではまだ話し合いで希望を持っておりましたが、希望は失せて、呆れ果てました。


ヤブ医者じゃないか?  から、ヤブ医者確定です。


そもそも〇〇大学病院に行かせないのも、〇〇大学病院の医師の処方を勝手に変え、何倍も悪化させた患者、母に戻られたらM医師の評価が下がる為、「他には行かなくていい」と母を洗脳していたM医師。


でも自立支援を受けるには診断書が欲しい為、言い返さずに。


「市役所から母みたいな人の為に、自立支援制度があり、医師からの診断書を貰えば受けれるみたいなんです。自立支援を受けれたら、助かるので、診断書書いて貰えませんか?」

とね。
そうしたら。

 市役所に行ったことで、ちょっと驚いた反応をしつつも。

「そういう事は簡単に出来ないから」

みたいな返事で、自立支援の書類さえ書き方がわからないのか、すぐには書いて貰えず。


ただ私は そこまで言われても、まだ次に母を連れて行くメンタルクリニック。糖尿病内科。C型肝炎の薬。高血圧。などなど、全部の治療を放棄されたら〔治療というか薬を出してもらっているだけだけれど、この近所の病院で全部出して貰えて助かっている〕困るから、とりあえず母をお願いします。

としおらしく頼んで、診察室を出ました。
結構どころか、かなり落ち込みました。
希望を断たれた。
まるで楽しいことが何も無い、地獄にいるような気分でした。


しかし、行き詰まった私に、予想外の方向から救いがあらわれるのです。


その翌週、父が脳梗塞の診察で、家族の方を連れて来るように言われたからと、私に病院に付き添って欲しいと言ってきました。

父も母と同じ近所の病院に診てもらっており、ただ医師が違いました。

この思い掛けない展開に、結果的に話が進む事になります。




続く。

区切りよくM医師の件まではさっさと書き上げるつもりです。

文章長くて誤字脱字あったらとりあえず見逃してください。あとから読み直しちょびちょび修正しております。