3月29日
4時頃の吐血から、ママンも寝たり起きたりの繰り返し。
ずっと気持ち悪そうな状態が続いていた。
癌発覚した時からここまでで、ママンが1番苦しんだ日だった。
7:30
嘔吐。
同じく真っ黒な血。
背中をさすったら、
マ「もっと強くやって」
と言われた。
私は背中をさする事すら上手にできないのかと泣けてきた。
私「ごめんね。辛いよね。何もしてあげられなくてごめんね」
何度も何度も謝って、ママンは首を振りながらバケツをずっと抱えていた。
吐いてもスッキリする事はなく、腰の痛みも強くなり、痛み止めを飲ませようとしても、薬を半分に割ってみても、飲み込む事はもうできなくなっていた。
昨日、薬剤師さんが経口投与が難しくなるかもというのが、こんなに早く来たのかと思った。
9:15
痛み止めの座薬を入れた。
ただとにかく、しんどそうにベッドの上でもがくだけのママン。
マ「どうしよう どうしよう」
どうしようとばかり言っていた。
どうしたらいいのかわからないくらい辛かったんだと思う。
9:44
寝てるか起きてるかの狭間のような時で、なんとなく撮っていた写真。
これが、ママンが生きている最後の写真。
夢なのかせん妄なのかわからないけど、手を伸ばし何かを掴もうとしていた。
この後ハッと目を開けて、
「水飲もうかな」
と一口だけ水を飲んだ。
私「アイス食べる?」
マ「あ、食べようかな。もうちょっとしたら」
結局食べることはなかった。
今もその時のママン用のアイスが冷凍庫に残ってる。
前日、名取裕子のバスツアーに行った夢を見て、そんな話をまたし始めた。
私「名取裕子に会ったんでしょ?」
マ「ちがう、渚ゆう子」
私「え、昨日名取裕子って言ってたよ。渚ゆう子って誰?」
マ「渚ゆう子だよ」
調べたら実在した。
ママンから最後に出た芸能人は、ママンの推しの山田裕貴でも永瀬廉でもなく、名取裕子と渚ゆう子。
なぜだったのかは、多分一生わかんないけど、この話の時は面白かったな。
バスツアーに行ってトイレを探してて、って話をしてたら、
マ「オムツにしていいの?」
と言い出す。
私「いいよ」
と言ったらニッコリ笑って、
マ「えーいいのー?」
とまた笑う。
11:15
訪問看護師さんが来た。
手際よくバイタル等を測り、点滴を入れた。
私「明け方から吐いて、吐き気がおさまらないんです」
看「吐いたものはどんなものでした?」
私「黒い液体です」
看「黒??もし次に吐いたら、嘔吐したものをとっておくか、匂いとかが気になるようなら写真に撮っておいてください」
私「わかりました」
看「午後に点滴を外しに別の看護師が来ますね」
11:25
嘔吐。
看護士さんが帰る前でよかった。
看護師さんは優しくママンに対応しながら、吐いたものを見て、これはヤバイというような表情をした。
ママンが落ち着くと、バケツの中の写真を撮り、ちょっと先生に連絡してきますと外に出た。
ママンどうなっちゃうんだろうって不安で仕方なくて、大丈夫だよってママンをさすっていても、本当は大丈夫なわけないのをわかっていて。
看護士さんは戻ってくると、
看「午後の看護師が強めの吐き気止めの注射を持ってきます。」
私「今はできないんですか?」
看「今できない事はないんですが、それやっちゃうと眠くなっちゃうんで、夜眠れなくなる恐れがあります。夕方やって、夜にしっかり眠る方がいいので」
私「そうですか」
看護師さんが帰った。
12:10
嘔吐。
同じく真っ黒な血。
夕方まで、ママンはこの吐血に耐えなきゃならないのかな。
見てられないくらい可哀想で、これ全然緩和ケアじゃないって思ってた。
13:15
嘔吐。
真っ黒な血。
毎回毎回沢山吐くのです。
飲んだ水なんて本当に僅かなのに、その何十倍もの量を吐く。
パパンは朝から来たけど、落ち着かない様子で買い物に行ったり、縁側で新聞読んでみたり、テレビを見たり、家を出たり入ったりしていて、ママンが苦しい時にはいない事が多かった。
サンドイッチを買ってきたけど、私は食べる気がしなくて断った。
マ「お父さん、mio昨夜もほとんど寝てないから、少し眠らせてあげて」
こんなに具合の悪そうなママンが私の体調を気遣う。
私「大丈夫だよ、眠かったら寝るから」
マ「ダメだよ、疲れちゃうよ」
パ「俺がお母さん見てるから少し寝な。」
次の訪問看護師が16時だったから、2時間位寝ようと思って、リビングへ移動した。
コタツでゴロゴロして、ウトウトし始めた。
14:30
16時予定だった訪問看護師さんが来た。
結局眠ることはできなかった。
点滴を外し、明日からは自分で外すようにとレクチャーを受けた。
そして、吐き気止めの注射を肩にぶすっと刺した。
ママンは痛そうに顔をしかめた。
この看護師さんは、なんかそっけなくて、そそくさと帰ろうとして、唯一ママンに関わってくれた人の中でイヤだった。
15:20
嘔吐。
真っ黒な血。
吐き気止めって、いつ効くの?
何をしたら止められるの?
こんな状態で大丈夫なの?
って思うと同時に、これが延命しないという選択の結果なのかなとも思った。
もうどうしようもないから、ただその時を待つしかないって事なのかな?って思った。
延命希望であれば、もう少し違ったのかな?
眠ったかな?と思った時、呼吸の音がヒューヒューいっていることに気付いた。
死前喘鳴?
いや、ゴロゴロいうらしいから違うよね。
ヒューヒューが気になって、ひたすら調べていたら音は消えた。
何か少しでも異変を感じると不安でたまらなかった。
16:10
嘔吐。
1日でどれだけ吐いたんだろうか。
全て吐血。
その都度体力は消耗し、喉も痛いと言っていた。
合間合間に、
「あの男の人は誰なの?」
と言ったり、
「Uの彼女ー?」
と言ったり、
「ねぇ、なんの番組?つまんないから消して」
テレビも何もついてないのに、
「うるさいから消してよ〜」
と、よくうるさいと言っていた。
さすがテレビっ子、ママンのせん妄状態はテレビの音の幻聴だったっぽい。
「お父さん、テレビ消して〜」
テレビもついてなければ、パパンもいないってって突っ込みたくなるくらい、何度も何度も。
それから、不定期に、
「苦しい」
「もういい」
「助けて」
「もういいよ」
そんな辛い言葉も何度も出ました。
もういいって諦めたくなるくらい辛かったよね。
夕方、この日面接だったUが帰宅。
4月から大学4年生のU、就活は早くから頑張っていて、それをママンも知っていたから、ばーちゃんが入社式のスーツ買ってあげるからねーって約束してた。
いいスーツ買ってもらわなきゃだから絶対死ぬなよってUに言われたって、ついこの間ママンが言ってたのにな。
それはUなりの励ましだって、ママン嬉しそうに言ってたのに。
U「今日面接した所、内定出すって言われたよ」
そうママンに報告すると、ママンは拍手をしながら
マ「おめでとー。Uちゃんならどこでも大丈夫!」
と喜んだ。
ママンが言うように、それから色んな所から内定もらったよ。
面接がスルスルどこでも通っていくと、ママンが応援しながら見守ってくれてるのかなって思わずにはいられない。
Uが帰ってきたので、私は夕飯を作り始めた。
その間ずっとUがママンのそばにいて、お話してたみたい。
ふと覗きに行ったら、ママンの手を握るUの目には涙が沢山溢れていて、普段ドライな子だから、それがまた辛くなった。
あとで、ママンと何話してたの?と聞いたら、寝たり起きたりだったから、そんなに話はしてないけど、
「ばーちゃん、もうダメかもしれない」
って言われたって。
Uも辛かったよね。
大好きな大好きなばーちゃんだもんね。
親と同じ存在だって言ってたもんね。
ばーちゃんに育ててもらったって言っても過言じゃないもんね。
でもね、きっと、ママンは嬉しかったと思うんだ。
可愛くて仕方ない孫が、涙を流しながら手を握ってくれていたこと。
きっととてもとても嬉しかったと思う。