「100000年後の安全」~原発の使用済核燃料の処理を問う | 建築家 田口知子の日常をつづったブログ

「100000年後の安全」~原発の使用済核燃料の処理を問う

昨日、渋谷のアップリンクで「100000年後の安全」という映画を見ました。

フィンランドで、原発で発生した使用済燃料棒を廃棄するための施設を、地盤の中深く数キロにわたるトンネル状の施設をつくり、その先に燃料棒を埋設していくという、実際に行われている施設のドキュメンタリーでした。

今回の福島の原発事故は、蓋をして考えないことにしていた原子力発電の根源的な問題を浮き彫りにしました。私たちは、原発を、資源のいらないお金が儲かるとても便利な発電施設、放射能は漏れたら怖いけど、それが起こらない限り大丈夫でしょう、という微妙な楽観的な判断保留状態のまま原発は使われ続けました。

 その結果、各原発の建屋の中には発熱を続ける使用済核燃料がどんどん増え続け、その燃料棒は数万年に、人が即死するほどの高レベルの放射能を発しつづけるという事実を、どう考えているのでしょう。実は、まだ誰も本当にはそのことに答えを出していない、という大変な事実を、こわれた福島の建屋の上部の「その部屋」を見て、私たちは直視する羽目になりました。

 映画では、フィンランドが、オンカロと名付けられた場所、使用済核燃料廃棄施設を作り続けているというドキュメンタリーです。この施設は完成するまでに100年かかる、と言っていました。フィンランドは、18億年、不動の岩盤があり、そこであれば安全だろう、という専門家の結論がこの計画の根拠になっているようです。廃棄物をロケットに入れて宇宙に飛ばす、あるいは、海に沈める?どれをとっても数万年の期間、大きな環境へのダメージなく安全を担保する方法ではない、という専門家の結論です。でも、そこで、堅牢な岩盤をダイナマイトで壊しながら、地下深く埋蔵施設をつくり、核燃料を充填してあとはコンクリートで封印する、という計画委です。人が近づかないために、どのように未来の人類に伝えていくか、言語も違う、文面も違っているかもしれない未来の人類に伝える方法を真剣に議論している様子が、滑稽でもあり、シニカルな現実として伝わってきました。

 日本は地震国ですし、このように地下を掘るのはありえないのは確か。ぞれでは、いったい、この使用済核燃料、どうしようとしているのでしょう?

原発は燃料費がかからないし安定した発電方法である、これからも必要だ、と言っている政治家や電力会社の人には、もっときちんと現実を直視してほしいものです。原発をやめても持続可能な社会、安全な未来をつくっていかないといけない、そのためにできることは何なのか、真剣に考えつづけたいと思いました。


建築家 田口知子の日常をつづったブログ げんぱつとはなんぞにゃ?まぐろのほうがいいぞ。(りょうま)