3/11 大震災の犠牲者の方々にとっては13回忌となるんですね。謹んでご冥福をお祈りします。当時、私は本社で打合せが終わって、ちょうど千葉の支社に戻るところだった。大揺れした時、日テレの本社前で一斉にTVカメラを担いだ報道班が局から出てきたのを記憶しています。

今から遡ること30年前、私は山形の寒河江教習所というところで運転免許を取得した。なぜ合宿免許かというと、地元の同級生と会うのが嫌だったから。私は同じ理由で成人式も行かなかった。地元がとにかく嫌いだった。

19歳の頃、フリーターをしていて車の免許を何となくとろうと思った時、アルバイト雑誌に最短取得17日という広告を見て、どうせなら行ったことのない遠方にと思って山形に行くことに決めた。

福島あたりで前泊したら「へぇ、合宿免許か、バイクはイイよ~、バイクは~、中免取りなよ~」とツーリング中の兄ちゃんに直前でそそのかされて中型免許込みのコースを申し込むことにした。

普通車のオートマを取ったらそれで戻るつもりだったのに…、マニュアルにして、バイク免許の教習を受けることにしたら中型の修了検定は2回落ちるわ、普通車は修検、卒検1回ずつ落ちるわ…

教官全員、山形弁で何しゃべってるか全くわからなかったし、教習所の終了時に流れるスティービーワンダーの曲を聴くと東京に帰れるんだろうかと心配になったりもした。

 

最終的には一か月滞在しました。土日休みだから山形の温泉巡回したり観光地廻ったり大好きな手打ち蕎麦食べたり。前向きに楽しんでおりましたよ。


合宿所はお年頃の男女が部屋を行き来して、ちょっとしたロマンスもあったり、悪い男連中の部屋に世間知らずの女の子が入り込んで泣いて出てきたりとか、何だか昭和で変な記憶ばっかり残っています。

仙台から来た市会議員の息子と他、何人かと友人になったのだけれど連絡先を交わしたのに今に至って、すっかり疎遠になってしまった。彼らは震災後、無事にしているのだろうか?

地元の紫の特攻服を着たヤンキーの女の子が醤油玉こんにゃくを持ってきてくれてご馳走になったり、見た目と違って優しくてほっこりした思い出です。そして津軽から来た人は山形以上にさらに何しゃべってるか全くわからなかったなぁ。

当時、寒河江市は高速がなくバイパスしかなくて高速教習の時は横風が強くて時速50kmしか出せなかった。それでいて高速教習代はしっかり取るんだからね〜 笑

無事、卒検に合格したら同部屋のオッサンの知り合いのところでお祝いしてもらったんだけど、そこの人が60過ぎたホモの爺さんで。手作り料理も、入れるお茶も滅茶苦茶美味しかったのだがしかし、夜に寝床を襲われそうになって一睡も出来ないという目に遭ったり。怖かった忘れることのない思い出です。


私はあなたと疎遠になってから自分のペースで随分楽しんで過ごしてきました。人生は楽しむべきです。あなたは残りの人生、楽しむことに集中すれば良いと思います。人に依存する人生は自分の視界を狭くする。人の人生に乗っかるだけではこの世は面白味は全くないです。

親は親、旦那は旦那、嫁は嫁、息子は息子、娘は娘。それぞれに人生がある。是非、自分を楽しんで、思い残すことなくあの世へ戻るようにしたいものですね。震災で亡くなられた方の分まで楽しんで過ごしましょう。それが彼らの一番の供養につながります。合掌🙏