30歳前半は人生最底辺の時で過去がどうとか振り返る余裕もなくなっていた。正直言えば女性は面倒くさいと思うようになっていた。女性への不信感が高じてそんな自分に嫌気も差していた。この頃にはあなたのことも心の奥底にはいたにはいたのだろうけれど、あまり思い浮かぶことはなかった。

26歳の時に6つ年上の大企業のOLに猛アタックしたんだけれど相手と自分の経済状況を比べて自信がなくなって相手の気持ちが載ってきたところで撤退してしまった。本当に馬鹿でしょ。


以来、40歳後半まで自分は恋愛感情は持たなくなった。心の奥底に沈めて封印しました。女性に対して熱い情熱が起きると自滅して辛くなるから。自己防衛本能に近かったと思う。

そして冷め冷めの状態で臨んだ見合い結婚の物語。親の手前、子供は欲しかったし、そろそろと思って30代に仕切り直しで婚活してみた。結果として、よろしくない流れになりました。

元カノは埼玉の北の人。元ヨメは千葉の北の人。後者は見合いの時は皇室関係の人かと思う気品を感じた。色白で、華奢で、物静かで。

彼女の趣味は手芸、料理。お、いいじゃない。最初はそう思った。ディズニーランドが好き、ピンク色が好き。あまり興味ないけど、ふーんそうなんだね。って感じ。

いざ付き合ってみたら神経質なところが徐々に炙り出されてきた。ディズニーランドに一緒に行ってみたら、ネズミの被り物をさせられて。私が楽しい顔をしていないとかで怒り出して勘弁してほしかった。実際に楽しくもなんともなかったから拷問かと思った。

お花見の時に手料理食べてみたいなってさりげなく言ったら実家で姑とブツブツ文句をいいながら嫌々、無駄に豪勢な重箱の弁当を持ってきた。嫌なら作らなきゃいいのに。自分ならホカ弁を器に移し替えて自分で作った体で提供するよ。楽をするための機転すら利かない。もうその時点でアウトでした。

着るものはピンク。彼女が所有していた車がピンク。お前は林家ペーパー子か。と思っても口には出さなかった。ピンクが好きだからピンクちゃんって言われていたんだって。思い出すだけで嘔吐しそう。

夜眠れないから車飛ばして来て。これは元カノと同じ。2時に相手方の実家に行って、1時間背中をさすってなだめて眠るまで話し相手になる。5時に自宅に戻る。それを何度か繰り返した。超絶拷問だった。既に結婚相手ではなく我儘な赤ん坊のような娘に手を焼く父親みたいになっていた。

交際して半年。感じていた気品は崩れてキツネ憑きみたいになってました。ただでさえ華奢だったのに激ヤセしたとか、私がダメ男だったばっかりに?当時は自分を責めたけど。今思えば違うと思うんだけどなぁ…

半同棲して週末には必ず実家に帰って親にありもしない私の悪口を言って親も最初は私寄りだったけど、だんだんと娘に洗脳されて私を非難するようになった。悪くもないのに実父を連れて一緒に頭下げて戻ってきてもらった。

婚約破棄しようと切り出すとお店のなかで号泣しだすからわかったわかったって感じでなだめて結婚破棄の破棄をする始末。それが何度か繰り返された。

婚約破棄の破棄の破棄
婚約破棄の破棄の破棄の破棄

繰り返される度、吐きそうになった。

破棄だけに 笑
まるで賛成の反対の反対みたい。

天才バカボンか。

入籍した時には週末に実家に帰ることが繰り返しあって諫めて連れ戻す。を何度も繰り返した。仕事で帰りが遅くなると三角コーナーに作ったばかりのおかずが全て廃棄されていた。彼女と暮らしていて心が休まる間が全くなかった。一緒の空気も吸いたくない。とはこのことなんだと痛感した。元ヨメが入浴している最中に近所の公園で元カノに電話して涙がポロポロ出てしまった。もともと元カノと別れる口実を作るために結婚した。やっぱり動機がおかしかった。罰が当たったのだろう。

週末になると必ず実家に帰っていなくなるようになって本心でホッとする自分もいた。あーいなくて清々する。一人って素晴らしい。って心の底から思ったものです。

途中から別居状態なので生活費送ってくれと訳の分からない内容証明が届いて、たった三か月でどんどん凄い展開になっていった。いなくて清々はしたのだけど。相手方の家に行くと娘はアルバイトをしている。光熱費はこちらで払っているから。生活費を送ってほしい。10万はほしいがどうか?え、5万?それじゃあ、ちょっとねぇ。間を取って7万でどうか。で、7万は我慢して仕方なく払った。ってバカ。どういう親なんだよ。シネよ。平たく言えば結婚詐欺に合ったようなもの。相手方に悪意がないのがまたタチが悪かった。

結局、いつまでも続く不毛な状況を解決したいと思ってこちらから調停を申立てした。その時は自分も思考が麻痺していたのか復縁調停か離婚調停かまだ悩んでいた。悩むとこなんてどこにもないんだけど。元ヨメには多少の同情は感じていたと思う。もちろん自分のために最終的に「離婚」調停を申し立てた。相手方に通知がいって義父から電話が掛かってきて「我々は絶対に屈しない。最後まで戦う。」だと。意味不明の極みだった。

当時、離婚は女性の方が有利という風潮があった。特に千葉の片田舎だったし。こっちが調停を申し立てたものだから相手方の九十九里に近い法務局に月1で通った。5月の時期、ディーゼルの単線、菜の花列車に揺られて。法務局から見える海がまた綺麗なこと。景色に癒されながら家裁に臨みました。神様、これは皮肉ですか?って感じ。

調停期間中、職場に親から脅迫めいた電話も掛かってきたのでお金の力を借りて弁護士さんに通知してもらったら職場への嫌がらせ電話もあっさりと止んだ。相手に生活費を払うくらいなら弁護士先生に払った方がマシだと思った。その次の調停では相手方から示談金で解決しようよって提案があった。あれ、屈しないんじゃなかったっけ?バーカ、こっちが慰謝料欲しいくらいだよ。って言葉を飲み込んで20万で手を打とうってことになった。20万って安っ。と思ったけど。相手方の両親も実際には自分達に非があることをわかっていた節がある。弁護士の指示で作成した陳述書も10枚以上書いたけど読み返せば読み返すほど、こちらのどこにも落ち度はなかった。

どうしようもないボンクラ娘の行く末が心配で仕方なかったのかな。温情で相手方の父親が付けてくれた浴室乾燥機の10万円分を上乗せして30万で整理して差し上げました。残していった荷物も全部送り返してスッキリはした。

結婚生活8か月、実婚では3か月足らず。

これが私のお粗末な初婚生活の一部始終。

戸籍に×をつけるために結婚したようなもの。

 

戸籍に彩りが出て良かったのかな。当時、やっぱり脳が麻痺していたのか離婚後、一人で横になった時にホロっと泣きました。お互いに努力できることはあったんじゃないかなと思って。私は見合い結婚だから愛を培うことからしか成り立たないと思っていた。でも相手に寄るんですよね。

結婚して1か月した時点で元ヨメと子供を作ったら一生地獄見るなって直感がよぎった。子供はほしかったけど。これもやっぱり相手に寄るんですよね。
 

短い結婚生活で分かったこと。

華奢、おとなしい、わかりにくい子はNG

相手だけでなく相手方の両親との相性が重要。

愛せないなら結婚NG。同情心は身を亡ぼす。
ピンク色好きは避ける。

法務局にいる民生委員は全員素人、元校長とかそんな連中がやっている。偏見に満ちた馬鹿が多い。そんな連中に他人様を調停する能力はゼロ。

まぁ、そんな感じです。

私と比べると大変、失礼なんだけど。あなたは良い結婚生活が送れていますか?私と結婚していたらどうなっていたのかな…

今度、結婚する時にはきちんと相手を愛せるように。そして自分に絶大な経済力を身につけて臨もうと思います。子供はもう難しいと思ってる。その分、奥さんを愛したいです。

料理なんて下手でいい。自分も自炊できるし。掃除、洗濯なんて自分のことは自分でやる。

年齢的に友達が減っていくなかで、自分が一緒にいて幸せだなって思える相手がほしい。私は自分と年齢が近くてバツイチで一回結婚の苦しみを味わっている人が釣り合っていると思う。50歳過ぎたら寂しいもんね。死に際で好きな人がいないってちょっと自分には耐えられないな。

私は愛したいし、愛がほしい。唯それだけ。50年近く生きて、ようやくそこまでに至った次第です。


ご愁傷さまでした。オレ。