あの日、校庭から見上げたペンシルロケット


 昭和31年の秋頃だったかな?私は本庄西小学校の2年生だった。ある日、全校生徒が西小の校庭に集められて

「今日、ペンシル型ロケットが打ち上げられるので見学をする」と告げられた。

 事前にそんな話を聞いていた記憶がない。学校をよく休んでいたので聞き逃したのかも。


 校庭の真ん中に気球につり下げられたロケットがあった。気球はロケットをつり下げたままゆっくりと上昇して行く。ある程度の高度まで上がってからロケットに点火する計画だった。ただ点火した瞬間の事は高度があったので残念ながら覚えていない
。


それでも全校生徒が校庭に集まり、空を見上げていた光景は今も私の記憶に残っている。


  なぜ本庄西小学校だったんだろう?


 当時、私はなぜ本庄西小が実験場に選ばれたのか不思議に思った。校庭は東小よりはるかに狭い、卒業生の中にどなたかが「糸川博士」と繋がりがあったからだと聞いた記憶があるが、新聞の記事だと西小の西隣に気象台の出張所があったのでそちらから来た話ではないかとある。


 私の通学路は学校から東なので西に気象台の出張所があった事すら知らなかった。今日初めてチャッチンから教えてもらったが、32年には閉所されているから記憶にはなかったのか。


 けれども、あのペンシルロケットは何だったんだろう!今のおもちゃのロケットの模型より小さなロケットだった。


 ふと思いたって、チャッチンがに調べてもらうことにした。すると、


 昭和31年(1956年)に本庄の小学校の校庭で気球を利用してロケットを高空まで運ぶ「ロックーン」の実験が行われたという記録が見つかった。


 また翌1957年1月19日の毎日新聞と埼玉新聞に「本庄西小学校にペンシルロケットが贈られた」という記事があったが、私の記憶にはそのロケットを見た覚えはないし、教室でロケットの話が話題になったことなど無かったと思うけど。


   70年近く経って蘇った記憶


 子供の頃は実験の意味も、ロケット開発の大きな目的も分からなかった。ただ全校生徒が校庭に集まり空を見上げていた。


 しかし、70年近く時は過ぎたけどその時の一歩が今回の火星の衛星フォボスへの探検に繋がっている。
あの日の記憶が日本の科学技術の歴史に繋がっていることが再認識された。


 あの時現場にいた子達のなかや、寄贈されたロケットを見た後輩達に宇宙工学関係や

ロケット開発などを目指した子たちがいたのかな?

私は父親の仕事の関係で本庄を離れてしまった、その後も実験あったようだね。


 私は残念ながら勉強しない人生で終わりそうだけど

あの日校庭から見上げた青空は私にとって忘れられない小学校時代の思い出の一つです。