独り言~藤圭子さんのこと | 世界の歌謡曲

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8月22日 藤圭子さんのご命日に寄せて~『女のブルース』

明日は藤圭子さんのご命日 もう3年たつんですね 今でも信じられないです
あの熱い夏の日 個人的にもトラブル抱えていた時期だったし そんな中ショックでした

『世界の歌謡曲』というタイトルでブログを書かせていただいていて 『昭和歌謡大全』という
不定期な特集させていただいています 僕にとってクラシックもシャンソンもJazzスタンダード
そして もちろん昭和の歌謡曲 全部「歌謡曲」 全て虚構・創作の世界 だから
その歌手の生立ちとか人生とか そんなのにかぶせて聴くのは嫌い でも例外があります
Jazzのビリー・ホリデイ そして この藤圭子さん

彼女の魅力?端正な容姿とそれに反するドスの効いた歌声 作詞家の石坂まさをとのコンビ
独自の音楽世界 それは何物にも代えがたい でもそれこそ作られたイメージ
あまりにも強烈で個性的な世界 彼女の少女時代のエピソードとかが拍車をかけて
ちゃんと恋もして幸せつかみかけていたのにね・・・
娘さんの宇多田ヒカルさんによると「本来は天然で明るい人」だそうです
作られた世界から逃れなかったのかもしれないね 違う生き方あったかもね 残念です

『女のブルース』 今までも何曲かご紹介してきたけれど この曲は特に好き
ビリー・ホリデイの『君微笑めば』同様大切な曲です 胸がいっぱいになる
 
ご冥福をお祈りいたします 合掌


女のブルース(動画)★藤 圭子



女ですもの 恋をする
女ですもの 夢に酔う
女ですもの ただ一人
女ですもの 生きて行く

あなた一人に すがりたい
あなた一人に 甘えたい
あなた一人に この命
あなた一人に ささげたい

ここは東京 ネオン町
ここは東京 なみだ町
ここは東京 なにもかも
ここは東京 嘘の町

何処で生きても 風が吹く
何処で生きても 雨が降る
何処で生きても ひとり花
何処で生きても いつか散る



藤 圭子(ふじ けいこ、1951年7月5日 - 2013年8月22日)は、日本の演歌歌手。本名、宇多田 純子(うただ じゅんこ)。旧姓、阿部(あべ)。
岩手県一関市生まれ、北海道旭川市育ち。1960年代末から1970年代初頭にかけて、夜の世界に生きる女の感情を描いた暗く陰鬱な楽曲(『怨歌』)を、独特のドスの効いたハスキーボイスで伸びやかかつ深々と歌い上げ、その可憐な風貌とのギャップも相俟って一世を風靡した。代表曲は「圭子の夢は夜ひらく」。
別居中だった夫は音楽プロデューサーの宇多田照實、娘は音楽家の宇多田ヒカル。元夫は演歌歌手の前川清。

い頃から浪曲歌手の父・阿部壮(つよし)、三味線瞽女の母・竹山澄子(2010年に死去。享年80)の門付に同行。旅回りの生活を送り、自らも歌った。勉強好きで成績優秀だったが、貧しい生活を支えるために、高校進学を断念。17歳の時に岩見沢で行われた雪祭り歌謡大会のステージで歌う姿がレコード会社の関係者の目に留まり、上京。約1年間、初代林家三平宅に下宿する。1969年9月25日、RCAレコードより「新宿の女」でデビュー。
以後、作詞家の石坂まさをと組んでヒット曲を連発。女性ハスキーヴォイスの先駆者青江三奈とはまた異なる魅力を持った、ドスの効いたその声は、可憐な風貌とのギャップも相俟って当時の社会に衝撃を与えた。ファーストアルバム「新宿の女」は20週連続1位、間を置かずリリースされたセカンドアルバム「女のブルース」は17週連続1位を記録。計37週連続1位という空前絶後の記録を残す。そのヒットから、テレビアニメ『さすらいの太陽』のヒロインのモデルにもなった。1971年、当時ともに絶頂期であった内山田洋とクール・ファイブのボーカル前川清と結婚するが、大スター同士の結婚生活はすれ違いが重なり、翌1972年に離婚。1974年、喉のポリープの手術を受け、かつてより歌に幅がなくなったことを悔やみ、引退を考え始める。最愛の母を父のDVから守るために離婚させ、それを契機に引退を発表。・・・
(ウィキペディア)