玉川カルテット | 世界の歌謡曲

世界の歌謡曲

その日の気分で 心に残る歌



こんにちは なんかここ数日心身共に優れなくて スッキリしたい だから笑いたくて・・・
このグループ大好きでした この頃が最盛期? 各人が芸達者
ちょっと画像は悪いですけど 楽しめます 笑えます



玉川カルテット「1994年のテレビ出演・持ち時間15分」




玉川カルテット(たまがわカルテット)は浪曲を取り入れたボーイズスタイルの歌謡浪曲グループ。小松プロモーションを経てファミリーアーツ所属。 二葉の「♪ 金もいらなきゃ女もいらぬ、あたしゃも少し背が欲しい」のギャグがお馴染みであった。玉川一門のお家芸である任侠物を得意にする。

成員
玉川ゆたか(たまがわ ゆたか):初代リーダー。本名:茶間豊。1939年生まれ。神奈川県横浜市出身。1956年、3代目玉川勝太郎に入門し(初代)玉川福助を名乗った[2]。コメディアンの玉川良一は叔父弟子にあたる。『一本刀土俵入』『吉良の仁吉』『瞼の母』等を得意とした。1996年5月19日、肝臓ガンのため死去。バラエティー番組にもピンで時折出演していた。メンバーで唯一、楽器を持っておらず、迫力ある声とメンバーを叩いてツッコむために持っていた扇子がトレードマークだった。
松木ぽん太(まつき ぽんた):三味線担当。1937年生まれ。福岡県出身。幼少時からバイオリンを習い、続いてウッドベースもマスター。浅草常盤座専属楽団員を経て、1958年からは天津羽衣の歌謡浪曲バンド「木の実グループ」で活動。楽器は一通りこなす芸達者で、三味線の早弾きで場を盛り上げる。おかまキャラで、ネタでは必ず女性役を演じた。素通しのロイド眼鏡がトレードマーク。
二葉しげる(ふたば しげる):ギター担当。1939年生まれ。コミックバンドのメンバーを経て、1964年に上京し二葉百合子や4代目天中軒雲月に師事する。1965年に松浦と共に玉川ゆたかに誘われ加入。コブシ回しが売り物。メンバーの中で一番背が低く「金も要らなきゃ 女も要らぬ 私ゃも少し 背が欲しい」という一節は「玉川カルテット」の代名詞となっていた。
松浦武夫(まつうら たけお):前ギター担当。1938年生まれ。長崎県出身。1964年、「あきれたトリオ」に加入、翌年二葉と共に移籍し、天才バカボン、忍者ハットリくん似の愛敬ある風貌で人気者に。「松浦たけお」と名乗っていた時期もある。ギター演歌の節は一級品だったが、病魔に倒れ2005年頃、引退。
全盛期ふくめ、上記メンバーの期間が長く、事実上の正規メンバーである。
(ウィキペディア)