第22節アルビレックス新潟を3対2で下すとそこからブランメルの快進撃が始まる。

 ソニー仙台戦、水戸ホーリーホック戦、大塚FCヴォルティス徳島戦といずれも3得点で快勝。

 国士舘大学戦、大宮アルディージャ戦はPK戦までもつれたがこれを制して連勝を伸ばす。

 続くデンソー戦も思わぬ苦戦となるも2対1延長Vゴールで制し、ジャトコ戦では再び3得点の快勝。

 1998シーズン最終戦は第2節で5失点と大敗を喫したサガン鳥栖との対戦。

 始まってみれば平のハットトリックにドゥバイッチさらに阿部とゴールを決めて5対1と最高の締め方をし、さらには22節から怒涛の9連勝を果たした。

 正直、補強しまくった選手の大量リストラを受け戦力ダウンは免れないと思われていた、ブランメルが18勝12敗、順位は7位でシーズン終了する。

 さらには天皇杯では途中交代の瀬川が決勝ゴールを決めて横浜マリノスを下すという大金星を挙げる。

 ちなみにこの年は横浜マリノスと横浜フリューゲルスの合併問題が起きた年でもある(結局合併し横浜F・マリノスとなる)。

 Jリーグも翌年から2部制を導入する事となり、プロ・アマチーム混合の様なJFLは1998を以て終了となった。

 ブランメル仙台は翌年からJリーグDiviSion2に参戦する事となったのだが、実際に参戦したのは新チームベガルタ仙台であった。