2024年元日






天気も良く


白山様に向かう人の流れと


参拝を済ませて帰ってくる人の流れで


とても賑わっていた上古町商店街




うちのお店もありがたいことに


沢山のお客様にお立ち寄りいただき


過去1ペースで売り上げも順調だった夕方




お客様の対応が一瞬途切れた時


ラジオから緊急地震速報のような音がなっていて


えっ?って思った時には揺れ始め


その後、街中のスマホが鳴り始めて‥




今まで感じたことのない強い揺れに


店が崩れてしまうかと思い外に飛び出し


街中がきしむその音と揺れに


マジでもうだめなんじゃないかと思うくらい


本当に怖かったですね‥





スマホで震源を確認したら能登半島沖




やばい日本海側、そして近い‥




自分達のことより


先ず家にいる母と息子が大丈夫なのか心配で



何回目かに電話が繋がり


二人は大丈夫なのか?というのと


その後すぐにスマホに届いた津波警報の文字をみて震える‥




我が家は超海っ端にあるのですが


母は車に乗れないし


家に小さい息子と二人だから


逃げてくれたとしても


歩いていたら間に合わないかも知れない‥




外に出て助けを求めて


誰でもいいから車に乗せてもらって


とにかく高台に向かって逃げてくれと電話で伝え‥




俺達も店を閉めすぐ車に乗って


古町も海と川に囲まれているから


とりあえず離れて高い所へと


堀の内のパチ屋の立体駐車場に逃げ込み


車の中でワンセグ観ながら3階にて待機





その時、テレビで目にした


新潟市沿岸の津波予想が3メートル





マジで家は諦めたし


それより何より


あいつらは大丈夫なのかという不安の中で


立体駐車場から身動きを取ることもできず‥




しばらくして山の上まで来れたから


大丈夫だよという連絡があり


とりあえずの安堵‥





後で話を聴くと


周りの家の人達も


外にいた母と息子には見向きもせず


助けを求める間もなく


我、先にと車を走らせて行ってしまい




諦めてちょっと高台にある


中学校目指して歩いていた時に


30代位の女性の運転する車が止まり


乗りますか?と声を掛けてくださり


高台まで母と息子を運んでくれたらしい‥



当たり前のように


名前も連絡先も聞ける余裕がなかったらしいが


その優しさにただただ感謝でした




母と息子はうちらが古町から戻るまで


高台にある公民館の避難所にいたんだけど


靴下も履かずジャンパーさえ着忘れ家を出てしまい


お正月で閉まっていた


公民館の避難所が空くまでは


入り口でとてもとても寒かったらしい‥





本当に何事もなくて良かったけど


こういうことが起こるたびに


なんで海っ端になんか家を建ててしまったんだろうとか


やっぱり考えちゃうよね‥




家もお店もライフラインが正常に稼働してくれていることが本当に助かったし


西区や江南区では


停電や液状化や道路にも影響があったり


一概にどこがという話ではないのだろうけど




なんで元旦になんだよって言いまくってたし思いまくった


おそらく今後も忘れられない一日になった‥







2日もこんな状況の中


お客様は来てくれるのだろうかという


半信半疑の中でお店を開け



そんな生きてるだけで感謝なはずなのに


ちょっとバタバタしたり


ちょっとうまくいかないことがあれば


俺の小さい器はすぐにいっぱいになってしまい‥



ホント、駄目な人間だなーと改めて‥







今回はとりあえず1月1日にあった出来事を


自分の記憶の1ページとして書き起こしてみた





今年は1月4日が木曜日で


そのまま定休日にするか


まだ白山様への人の流れもあるだろうし


頑張ってお店を開けようかと迷っていたんだけど


身体も心も少し疲れちゃったし


子供と出かけられる時間も


今は早々ないのでお休みにすることにした






今も続く地震のニュースを目にする度


あの時、感じた強い揺れが


石川の方では今もまだ頻繁に続いているかと思うと


本当に胸が苦しくなる思い





2024年


日本は世界は


いったい何処へ向かって行くのだろうね‥