三笘選手の著書、「夢を叶える逆算志向」を読んだ。

 

フロンターレU12の1期生、そのままフロンターレのジュニアユース、ジュニアと進み、筑波大学を経て、古巣のフロンターレでプロデビュー。

日本代表、プレミアリーグで活躍中。

プレーはとても注目している選手ではあるものの、正直、絵に描いたようなエリートコースを歩んでいるため、パーソナリティーの部分や、幼少期、育成年代でのエピソードなどは、あまり興味がなかった。

 

それが、新聞か何かの書評で、ジュニア時代は、ドリブルで仕掛けることに、拘りすりるあまりコーチやチームメイトと軋轢を生んでいたというようなことが書いてあり、「へえ、三笘選手でもそうなんだ」と思い本を買って読んでみた。

 

三笘選手が、ドリブルという「自分の武器」を持てた理由は、自分が絶対に点をとってチームを勝たせるんだという強い意志をもってドリブル勝負を仕掛けていたことにあるという。

毎回勝てるわけでもないので、相手ディフェンスにボールを奪われてしまうことも多々あったようで、まわりから「どうしてパスを出さないんだ!」と非難されることも少なくなかったようだ。

そうやって非難を受けても、1回のドリブル勝負に勝利してゴールを決めることが出来、それが決勝点となり試合に勝てるかもしれない。それがサッカーだと信じていたようだ。

1対1のドリブル勝負に負けて文句を言われ続けたとしても、「今は失敗する段階なのだ」と言い聞かせ、幼馴染の田中碧選手達とひたすら1対1のドリブルトレーニングをしていたとのこと。

もし、三笘選手が周りの選手やコーチの指示、言葉に屈して、勝てる状況でしかドリブルを仕掛けず、セーフティーにドリブルとパスを使い分けていたら、ジュニア段階では、「サッカーを理解している」とか「頭がいい」とか言われ、それなりに評価されたかもしれまいが、プレミアリーグで活躍する三笘選手は生まれなかっただろう。

 

そういえば、うちの息子のジュニア時代のチームにもドリブルがとても好きな子がいて、ロナウジーニョに憧れ、フェイント、足技を一生懸命練習していた。

息子より2歳年上の選手で、低学年ではチームの中でも中心選手だった。

しかし、その子は身長がなかなか伸びず、高学年になると一度はドリブルで抜くも、抜いた相手に追いつかれボールを取られる、体を当てられボールを失うという場面が増え、6年生の時には、活躍が出来なかった。

それでも彼は、飽きることなく毎回毎回ドリブルで仕掛けていた。

その子は、中学に入っても部活でサッカーを続け、背が伸びると共に、ドリブルにスピードとキレが増しエースとして大活躍していた。

 

やはりジュニア時代は、好きなこと、得意なことを追求する。

さらに、上を目指すには1対1。

 

チーム練習の指針にしようと思う。