3月後半のお弁当たちと余談 | かんむり座

かんむり座

のんびりやっていきます

関西から帰宅してから。

目まぐるしい2ヶ月でした。

そのため、いつもはリアルタイムにつけていた家計簿もブログと同じく残していたレシートを遡りながらつけた状態。





一時期、実家の両親に義両親と実家の家族の5人の介護をひとりでしていた時があった。

まだ若かったからできたことだろうけど。

それでも、自分のことは全て後回しで化粧なんて普段からする方じゃないけど、そんなことより身なりだなんだ気にする時間もないありさまで毎日、毎日、自分の家族の朝ごはん、お弁当、洗濯、掃除が終わればすぐに家を飛び出して実家や義両親宅、病院と朝から晩まで飛び回り、寝る暇もなく(介護や看護のための本を読んだり、実際に病院での実習として一日中つきっきりで。

少しの時間があれば、自宅に帰り洗濯物を取り込み夕飯の支度をして、また、病院へ。

自分は食事をする間もなかった。

寝たきりで、気管切開をした家族のための痰を引く練習や鼻管栄養の挿管実習を受けたり、薬や栄養を補給するやり方、酸素量チェック、気管切開をした喉の装具掃除とそのガーゼ交換の仕方、着替え、オムツ替え、機械によるベッドと重度障害者用の車椅子間の移乗の仕方、口内洗浄・口内マッサージや洗髪の仕方を習ったりetc、、、)介護される者だけでなく、病院や介護支援センターとのやりとりに、次の施設の検討のための見学まわり、手も金も出さないが口だけは挟んでくる他の家族や親類、縁者たちに振り回されまくっていた。

10年前あたりのあの時期に比べれば遥かに身体は年を重ねて、今は、自分の体と生活を保つことをできるだけ第一に考えなければなぁと学んだ。









できる範囲を越してはしない、してはいけない、自分の家族のためにも!と思うようになった。

つまり、ただ、優しいだけではなく鬼嫁化、鬼娘化した部分もあるということ。

でないと。

自分を守れないし家族も守れないから。

短期ならばいざ知らず、長期にわたると出来ないことは、増えるのだから。できる出来ないを都度分けて、誰かにお願いすることはして。

お金を出せることは出して。

(↑この部分で大概もめる。介護されている本人たちがなかなか年金をいくらもらっていて、何にどれだけ使っているかを見せたくないようで、食事の支度とかいろんなことが出来なくなっているからヘルパーを入れたりお弁当を宅配してもらいたいのに、お金は一円も出したくないらしく。仕方ないから、嫁として娘としての立場から人道的にお弁当を作り持っていく、洗濯をする、買い物をする、掃除をするとなる。でも、そうすると我が家から持ち出したお金は補填されない💦)





そんなこんなを経て。

私は、孫やらいを優先することに。

10年以上過ぎて。

実家の親は亡くなり、足が悪くなりながらも認知症の徘徊や妄想が増えた義母は施設にお願いして。

そのおかげか義父は、ものすごく元気になり。

認知症のせいで義母は物忘れが酷いのに、以前のように治るはずだと思い込んでいた義父は、義母をスパルタ式に教育しようとして猛反発をくらい、毎日、喧嘩が絶えず。

義母は、徘徊しはじめる。ここではないどこかに行きたくなり、「おじいさんが怒るから怖い、出て行きたい」と。

金婚過ぎて仲良くモーニングと色紋付で並んだ、おふたりの写真を施設に持って行くか?と問えば義母は「おじいさん、ボケた顔してる。こんな写真いらない」と写真立てごと伏せた義母は、それからは若い時に気持ちが返ったみたいで。

義父のことを憎からず思いを寄せていた女性のもとに義父が行ってしまい帰らないのだ、あの人は馬鹿だから騙されているのだと施設に行くとよく話してくれていた。

あれから、10年が過ぎて。

今、義母は義父はとうに亡くなり、自分の息子である私の夫を自分の連れ合いだと思っている。





あの時に比べたら。

ずっと、まし。

まだ、眠れる時間はあるし。

落ちついて考える時間がある。

自分の頭で考えることが出来なくなってる時は、何かをやり過ぎているんだと思って。

気をつけてくださいね。

ご自身のことを大事に!





あらま。

余談が長くなりました。

要するにリアルタイムに出来なかった言い訳でした。

(*^^*)  テヘへ





3月18日から




 


19日





21日




22日








25日





26日





27日





28日





29日






でした。






3月末のさくらが綺麗だった🌸ので。

記念に。