最近ひとり昨日付けで退職した。
よく頭のまわる人だった。
ああしたい、こうしたいとリクエストが多く私が形にしていく。おそらく自分でもできたんだろうけど、私にまわしてた。
頼まれたら頑張る私。いいものを作りたい、いい環境にしたいと、案もだしたし試行錯誤をした。
形作ったものを渡して、彼は自分の評価を上げていく。これでいいのだ喜んでもらえたから。
けど、心のモヤモヤは膨らむ。
私は評価されることに重きを置いていなかった。
そう言うのって相手がちゃんとみといてくれるからと、、、自分でガツガツいくものじゃないと。
しかし、最近はそれが間違っていたことに気づく。
評価は自信になるからだ。
人に手柄を渡していく私にリターンはなかった。
私がやったのに。
私のあんなのに。
持っていく人は容赦ない。そしてまた来る。
同僚の女性で、私がこう改善しようと思うと言ったことがあった。あの時の顔が忘れられない。
すごい目つきで、誰の名前で出すの?
み、みんなの名前でだす?とゆずる私。
ギスギスした感じが嫌いな私。
平和主義の私。自分が評価されようとしたらそうやって恨む人がいる。
控えめにしてるから都合よかったんだなと
今なら思う。
人が好きな私は、よく誰とでも話す。
ユーモアもあり、冗談も上手いからよく年配の方とも仲良くなれる。
そんなところも利用される。
その人ももうGWで産休後に退職する。
寂しくなかった。逆に嬉しかった。
そして、彼と彼女がいない職場は、
目の前の仕事に必死な人ばかりで楽だ!
自分ばっかりどうにかなろうとする人はもういない。逆に手が回ってないくらい必死。
助けを求められて、解決してあげると
ありがとう😊とさっていき仕事に戻る。
あの人のようにピーピー言わない。
なんで楽なんだ。
もともと会社とは仕事をしにきていて
与えられたことをこなして利益を上げていく
だからこれが普通なのだと。
やっと、私の職場には我の強い人はいなくなった。
我の強さは否定するつもりはないけど、やっぱり人を利用して自分だけは得するのは違うと思う。
そう思えたのも彼に言われた、
そこまでやってるかなたさんに次のステップアップも用意せずに、やってくれるからってずっとやらせるのは違うと思う。
確かに、しょうがないって思ってきたけど私はもっとステップアップしたかった。
じゃあ転職か、と嫌違う!!今はもうなんか掛け持ちしようかなだってもう、自分自分の人がいなくなって、ようやく私の自分のために働けるようになるんだから。
わたしはこの会社にきて数々のモンスターを倒してきた!
- ばあさん(65〜72歳までいた)
- やぎ(俺に逆らったやつはこの会社にいれない発言:今はみんなから嫌われ者)
- よく泣く人(自分が良ければハッピーな口がうまいし媚び上手もう時期退職)
- しゃけちゃん(自分の可能性があるとおもっている、自分は好かれていると思ってる)
- おじさん(ごますりおじさん、言われたことしかしない、理解能力低め)