てっぺんに旗が立ってますが、江戸時代の旗さし山を再現したものです
表:風雲桶狭間(ふううんおけはざま)

日本三大奇襲の一つに挙げられる「桶狭間の戦い」
永禄3(1560)年5月、2万5千の今川義元軍を迎え撃つ織田信長軍は2千
尾張清洲城にいた信長は「敦盛」をひとさし舞い、今川本陣を急襲しました
毛利新介によって、義元の首級を挙げました
見送り:筑紫曙千三百五十年(つくしあけぼのせんさんびゃくごじゅうねん)

約1350年前、百済が唐・新羅の軍に攻められた時、大和朝廷は大規模な援軍を送り出しますが、白江村の戦いで敗北し、百済の国は滅亡します
その襲来恐れた大和朝廷は、西日本一帯に山城を築きましたが、そのひとつである大野城は日本最古の山城とされています
この後、筑紫には九州を治める職として「筑紫大宰」が置かれ、奈良時代には「大宰府」が成立し、軍事・外交の窓口としての役割を果たすようになりました
「倭」と呼ばれていた我が国は国号を「日本」と称し、「天皇」の名称も使われるようになりました