皆様、お元気でお過ごしでしょうか。

 

新型コロナの流行で、不安を感じながらではありますが、わたし自身は何とか普通に暮らせています。

 

これもたまたま、性別移行が済んだ後で、しかも在職トランスも(微妙な形ではあっても)完了済みのおかげです。運が良かっただけ。

 

でも、トランスジェンダーに限らず、危機の時には弱者やマイノリティーにしわ寄せが来るので、自分のトランス物語よりも他に考えたいことが沢山あったのでブログは完全放置でした。

 

 

きょうは近況報告代わりに、またぞろ東大上野ゼミ門下生がトランス排除的な文章を含む本を書いたらしいという話で怒ってるぞ話ね。

 

いや、もう別に坂爪氏や千田氏が“改心”することは期待していないし、本も読む気ないです。

 

ただ、こういう「自分の認める正しい女性」のためのフェミニズム、って自殺行為だと思うなぁって、そっちに対してどうせ大した問題提起も起きないだろう日本のフェミニズム界(特に学者)に、怒りと失望感がわきます。

 

 

セックスワークに、自分の精神をドブに投げ捨てるような、って平気で言える感覚ね。あなたがどう思おうと、そこで暮らしている人がいる。

 

お金のためだったり、身元を隠して働ける環境だったり、お金を介してでも性的に求められることを必要とする精神状況だったり、何らかの生存戦略でセックスワークを生業にしている人を、自分は正しくないと思うって言って切り捨てる・傷つける。

 

それって、日本の「正しい労働者の在り方」からしたら、残業できないし子供が熱出したら休むのは迷惑だからって、女性や家庭での介護担当者を切り捨てる社会の在り方と地続きだと思う。女性を加害している側の被害者意識。

 

 

トランス女性を犯罪予備軍扱いする心理もね。わたしもトランス女性に性犯罪者がいないとは思っていない。

 

でも、女性には痴漢冤罪や強姦冤罪をでっちあげる者がいるかもしれないっていう、男性の不信感・女性蔑視に基ずく現状や現在の刑法と、犯罪予備軍「かもしれないから」トランス女性などを排除しようとする感覚も地続きだと思う。トランス女性を加害している側の被害者意識。

 

 

フェミニズムを主な活動領域にしている人は、女性という最大人数のマイノリティーを背景に背負っているので、マイノリティーの権利の問題に、一番鈍感でいられる人達なのかなぁと、実は昔から思っています。

 

もちろん、そこにとどまらずに視点を広げられる人もいるとは思いますが、自分の考える正しさへの疑問を持つ視点が、今の日本のフェミニズム、特に学術の世界にいる人には足りな人もいるし、それが本格的な論争にならないのは、日本の未来にとってとても不幸なことだと思いました。