ハラリ教授の「21 Lessons for the 21st Century」を読んだ時に Science Fiction の章で言及されていたディストピア小説に興味を持って読んでみました。

 

この世界では、人々はみんな満足して幸せで、社会は繁栄して安定している。進歩した生命科学によって人工子宮で生産される人々は死ぬ直前まで若い時の姿のまま、消費と快楽を追求することを奨励されています。

 

「1984」の不満を持つことすら許されない超管理社会とは真逆の、“ぞっとするようなユートピア”世界は、ハラリ教授の言葉を借りると「一見どこがディストピアなのか分からない」世界です。

 

 

ディストピアっぽさを感じるのは人間の製造工程だけ。人は上からアルファ、ベータ、ガンマ、デルタ、イプシロンの階級に分けられていて、アルファ階級とベータ階級は管理者、責任者的な地位についている。ガンマ以下の階級は卵子を最大96分割して製造される一卵性多生児で、階級が下がるにつれて身長が低かったり外見が崩れたりしていきます。

 

さらに、下層の階級の者は胎児のときに意図的に有毒物質や高温などにさらすことで能力も制限されて、イプシロンでは知能も"semi moron"に抑えられています。

 

ただ、全員が慎重に幼児期からの学習によって条件づけられていて、イプシロンは「アルファやベータだったら、能力の高さから自分たちには理解できないほどの責任を果たさなければならないので、自分がイプシロンで本当に幸せだ」と思っています。

 

そしてベータも「アルファほどの責任や能力を要求されず自分は本当に幸せだし、イプシロンですら社会にとって有益だ」と信じています。

 

こうして、階級闘争などのない幸せな人々によって社会は繁栄し続けています。

 

そのユートピアに疑問を持ったのは…

 

 

興味がわいた方は、短か目だけど面白い小説なので、読んでみてください。

 

 

ここからは多少のネタバレを含む感想文。

 

ハラリ教授が示唆していた「人類は生化学と電子アルゴリズムを利用することで『不死・幸福・人類のアップグレード』を目指すだろう」と言う予測が実現したかのようなディストピア。

 

自由な精神を持った個人が自分らしく生きていく上では、不幸になること、不快な思いをすることも飲み込んだ選択ができることが大事なんだ、と感じました。

 

たとえどんなに幸せであっても、誰かの決めた条件の枠内でしか思考できないのであれば、そこに人間としての尊厳はあるのだろうか。そんな問いかけを感じた小説でした。