ユハル・ノア・ハラリ教授の新刊を読みました。日本語版は多分まだ出版されてないのと、例によって英語版キンドルの方がたったの1,000円と割安なので英語版(^^ゞ

 

「サピエンス全史」では人類の過去の歴史を、

「ホモ・デウス」では人類の遠い未来の展望を描き出していました。

「21世紀のための21の教訓」は現在と直近の未来についての考察です。

 

 

今度の本は、全2作や講演での質問・疑問にハラリ教授がより個人的な立場を明確にしながら回答・考察する内容になっています。

 

リベラリズムに関しても、将来に向けて現在までに人類が見出した最も有望で融通の利く制度だと信じている事、だからこそその欠点も見つめ直す必要があると考えてこの本の執筆にあたったことなどを明言しています。

 

その上で、現代を取り巻く「移民排斥の動き」や「テロリズム」、「フェイクニュース」などの流れを卑近・安直な問題解決(に見えるだけもの)であり、「地球規模の環境破壊」や「アルゴリズムに個人の価値が取って代わられる可能性」などの全人類的かつ今すぐに対処し始めなければならない本質的な問題から目をそらす動きに過ぎないという知見を述べている、と言うのが超ザックリした全体の流れ。

 

 

ここからは、個人的に考えさせられたフレーズの中で、セクシャルマイノリティーとしてのわたしに関わる部分を。

 

博士がこの本でリベラリズムの欠点をどこまで率直に語るべきか悩んだ「前書き」から。

「独裁者や反自由主義者は、自由と民主主義を貶める事のみに関心があり、率直な対話に臨む意思は無く、他方で自身に向けられた批判に対してはほぼ反発するのみ」である。←日本のサイバー・フェミニストの姿勢に通じるところがあるなぁ。

 

「正義」の章から

「(複雑な現代においてすべてを知ることは不可能なので)そういう意図はなかった、と言って責任を回避しようとすることも考えられるが、あらゆることが関連している現代において最も重要な倫理的な責任は、『知ろうとする責任』である」←自戒も含めて、差別するつもりはなかったという言い訳の不誠実さを端的に示していると思う。

 

「移民」の章から

未だに差別的な人物を人種差別主義者だと非難する人が多いが、「現代は人種の(生物学的)特徴から文化的特徴に差別の軸が移っていて、良い点としては人種よりも文化の方が可塑性がある点、逆に変えられるのに完全に変えないことに対してより激しい非難を浴びせがちなのが悪い点」「黒人が肌を脱色しない事を非難することは考えにくい」←日本の髪の黒染め強要や、アメリカでの黒人に対する黒人特有の髪型に対する批判などは、黒人の社会進出に伴って人種差別が無意識に文化差別に及んでいるとか、日本ではそもそも違いに対する強烈な反感の存在を示していて根が深いと思う。

 

「世俗主義」

絶対的な神を信じる宗教から離れて、真実を見つめる事、他者の苦しみに共感する事、そこから結果的に平等を重んじる事」が世俗主義であり、単なる信仰よりもコミットメント(自発的・積極的な関わり)が必要である。

 

「意味」

人生や存在に意味を与えるものについて。

「人は犠牲を払えば払うほど、その物語(神・信念etc)を信じるようになる。物語が正しいか、自分が愚かであるかの2者択一になるから」

「自ら犠牲を払おうとする人が少ない場合は、他者を生贄にすることもできる。物語が正しいか、自分が悪辣な人物であるかの2者択一になるから」←こうして自信とは違う属性のマイノリティーを迫害していないか、常に振り返りたい。わたしは差別していない、とか、わたしこそが被害者である、という主張には誰しも陥りやすいと思う。

 

 

セクシャルマイノリティーにかかわる内容を列挙しただけで、何だか凄く考えさせられる本でしょ。凄いのは、「意味」の章でも物語を単に否定的にとらえるのではなくて、人類を共同させるための最強の道具でもある、と複合的な視点を貫こうとしていること。読んでよかったと思います。