茨城県の同性パートナーシップの導入を含むLGBT支援策を検討する会合で、県医師会の副会長が「マイノリティの人にマジョリティに戻ってもらう治療はないのか」と発言した件。

 
報道によると、彼は昨年までエイズ拠点病院の院長を務めていたそうです。
 
ゲイの人がエイズのリスクが高い事、また偏見などが原因で主要国の中では日本だけ患者数が増え続けている事、なんかを考えるとわたしもセクマイの当事者として言いたいことはたくさんあるけど、今回は少し違う視点から書いておきたい事があります。
 
 
医師(をはじめとする専門職)に求められる事の一つについて。
 
医学の歴史には暗い部分もあって、優生保護法に基づく強制不妊手術や、同性愛者に対する矯正治療などはその代表的な例だと思います。
 
その過ちに個人的な直接の関与は無かったとしても、そういった過去(かつ一部は現在進行中でもある事)に学ぶ姿勢は、医師として必要なのではないかと思うのです。そして、内心に同性愛者への差別感情が有ったとしても、専門家として公の場でそれを表に出さない見識は必要だと思う。
 
エイズ拠点病院の院長を去年まで務め、母体保護法(旧・優生保護法)専門医である彼には、差別がどうこう言う以前に専門家としての真摯さと資質が欠けているのではないか、と思ってしまいます。
 
発言を受けての新聞の取材に対しての答えでも、「“時代の潮流”は分かるが医師としては普通の男、女として成長してもらいたい」と答えていて、性的指向・性自認を“時代の流行”として捉える姿勢がありありと見えます。
 
WHOが性的指向・性自認を治療対象ではないと規定している事(=医師としての立場)よりも、個人の政治的な立場や差別観を優先させていると思わざるを得ないです。
 
彼自身、インタビューに対して「専門家ではない」と逃げていますが、精神科やジェンダーの専門家ではないにしろ、医師という高度な専門職(かつエイズ拠点病院長経験者で母体保護法専門医)としての立場よりも、自身の差別感情の“無邪気な”発露を優先させてしまうのは、医師会副会長という立場でLGBT支援策を検討する会合に出席する人間として、不誠実だと思います。
 
 
いつ迄こういうことが続くのか。やっぱり婚姻の平等は法制化しないとダメだし、理解促進じゃなくて差別禁止を法制化しないと、専門職の立場で出席した公の会議でああいう事を言っても、「今後理解して調整を進めるように努める」って逃げ続けることが出来るって言うことだと思いました。
 
理解、なんて出来るわけがない。女性としての性自認を何十年もひたすら隠して、否定して、女性としての青春を完全に失った後に、やっぱり女性だと認めないではいられなかった気持なんか、簡単に理解されてたまるもんか。ただ存在を認めて、他の人と同じように扱えばいいだけ。簡単に“理解”って口にできるのは「理解する気がない」からだと改めて思いました。
 
 
(ちなみに、母体保護法専門医という彼の立場から例の「生産性発言」に通じる言葉(「産婦人科医として少子高齢化の時代、一人でも多くの人に子供を作ってもらいたい、戻ることはできないのか」)が出てくるのも残念です。ただ、リプロダクティブ・ヘルス/ライツの考え方を十分に反映しないで母体保護法が改定された日本の現状を踏まえると、もう少し複雑(政治的)な検討が必要そうな話題だと思うので、今回はあえて触れていません。一つだけ言えるのは、彼のこの発言が許される方向で母体保護法を改正したから、バリバリの専門家としても公にあの発言が許される状況を作ったんだという気がしました。)


追記
第2回目の会合で『戻って』『治療』という言葉を『勉強不足』と認めて謝罪したそうです。『決して差別に基づいた言葉では無い』とも述べたそうです。