個人的に(危険だと思って)注目していた台湾の国民投票。

 

台湾の最高裁にあたる最高法院で、同性婚が認められないのは憲法違反であるという判決が出ていたものの、与党の求心力の低下に引きずられる形で法整備に至らないまま、結局、国民投票に委ねることになってしまっていました。

 

 

少数者の人権を多数派の多数決にゆだねるって、極めて危険で、間接民主主義の否定ですらあると思っています。

 

実際、一時期は同成婚に賛成する人が71%と世界最高の割合だった台湾でも、今回の結果です。

 

わたし、選挙はその時の情勢で結果が変わるところにこそ、意味があると思っています。

 

だから、人権のような近代国家なら本来否定してはならないものを、その時の情勢任せにするのは責任放棄だって思う。まして、台湾では最高裁の判断が出たものなのに、それでも背に腹は代えられない時には放置される。

 

 

まだ救いがあるのは、いわゆるシビル・パ^トナーシップ法(結婚と同様にカップルの関係を認定する法律)には賛成多数だったことだけど。

 

ただ、シビル・パートナーシップが婚姻の平等法に置き換わったり、最初から婚姻平等法を制定する国が多くなったのは、「婚姻と同等の目的・効果を持つ別の法律を制定すること自体が差別である」という考えから。

 

別の法律だから、完全に同じではない部分が存在したり(ヨーロッパの例では子供の親権など)、将来的に個別に制約を課すことだって出来る仕組み。

 

何よりも、「婚姻は認めないけれどシビル・パートナーシップなら認めよう」って、自分と同じ立場に立って欲しくないから、類似の“権利”を与えるからそれで満足しろ、って言う「時の世論」の表れだっていう事が、今回の投票では浮き彫りになったと感じました。

 

 

少数派に対する多数派の“理解”なんて、吹けば飛ぶようなもの。同じ権利が法律で保証され、差別が法律で禁止されるない限り、意味がないんだって、残念ながらまざまざと示す結果でした。台湾では一旦シビル・パートナーシップ法になったとしても、イギリスやオランダのように婚姻平等法に改正されることを祈っています。