例の議員の発言に関するもろもろで、わたしが一番、辛いなぁと思う事を書いておきます。
このわたしの意見には、当事者でも反発があるのは分かったうえで、あえて書きますね。ここで出しておかないと、わたしが弱っているからスルーしたこと自体に、傷つき続けてしまう気がする。
前提。
発言自体は、個人的には「またか」、と言う程度。それを、"LGBTへの理解増進"を方針として掲げる所属政党が「いろいろな意見がある」程度で済ませる姿勢は個人的に許せないと思った。
わたしの心が元気な時なら、ツイッターやブログで色々と書いたと思うし、時間が合えば抗議活動にも行ったと思う。
それをしなかったのは、きっと出てくる「だからセクマイはめんどくさいって思われるんだよ、やめて欲しい」と言う当事者からの発言に、きっとわたしは一番傷付くので。それに耐える力が無かったから。なるべく係わりたくなかったです。
止めて欲しい、と思うのは自由。
だけど、それを当事者が発言するのは、マイクロアグレッションだと思います。
たとえ話をします。
女性へのセクハラ(犯罪にならないレベル)が横行している職場があったとします。
それが気にならない女性もいるし、嫌だけど耐えられる女性もいます。
でも、それが耐えられない女性もいる。耐えられないけれど、社内の立場や生活のために声を上げられずにいる人もいる。
その中に、セクハラには抗議の声を上げるべきだと思って、行動する女性がいたとします。
その時に、男性が「なんだお前、めんどくさいやつだなぁ、云々」って言うのは、それ自体が環境型のセクハラです。
じゃあ、女性なら? 「そんなこと言うから、女はめんどくさいとか使えないとか思われるんでしょ、やめて欲しい」って言うのは? 声をあげた人や、耐えられないと思っている人を傷つける発言だと思います。
難しいけれど、抗議の対象自体を、自分でも「それで正しい」と思っていない時に、抗議すること自体を批判するのは、わたしは好きではありません。
難しいよね。たとえば、談合を前提に業界が回っているときに、談合に抗議をしたら会社自体が成り立たないかもしれない。抗議することは良くない? 抗議しても良い? それで自分や周りの人の生活が脅かされるけれど、見逃すのが法的に正しくないこともあるよ。
抗議の仕方がおかしい時もあるよ。セクハラしたと思う人を、誹謗中傷するようなやり方。
だから、判断は難しいです。
今回の議員の件では、あの意見や対応が正しいと思う人(当事者も含む)は当然擁護するし、それはそれで良いと思います。同時に、抗議の声があってこその民主主義で、表現は自由だと言えるんだと思う。
あの意見が正しくないと思っている人(特に当事者)が抗議すること自体を批判するのは、あの意見を持つ人の側に立った行動で、それによってさらに傷付く人が居ることを分かって欲しいと、わたしは思います。
わたし自身も、マイクロアグレッションや、もっとはっきりした差別的言動を気付かずにしているはずです。でも、それになるべく気付けるようになりたいし、気付くきっかけがあったら冷静に自分を振り返れるわたしでいたいと、思っています。これが難しいことも、分かってるけど...