根が深いんですよね。

 

世の中に、ホモフォビック、トランスフォビックな情報が溢れてると、それを当事者自身が取り込んで自己否定につながるって言うやつね。

 

わたしは、メンタルはかなり強い方。それに、割と早いうちに虐めに対する耐性も出来た方だと思う。多分、小2くらい。言葉で虐められたり、からかわれたりした時に、嫌がると余計に虐められるので、気にしないようにしてた。

 

そんなわたしでも、じわじわと蝕まれてた(願望を込めての過去形)って思うのが、自分の中のトランスフォビア。

 

初めて「自分は、なぜ女の子じゃなかったんだろう」、って感じた時から、自己嫌悪感が育ってた。だって、本当に成りたかった自分は、女性だから。絶対に自己実現できないから。

 

そんなの嫌だから、わたしは色々と頑張ってみた。本当は女性だったら、って言う気持ちを感じないで済む抜け道みたいなものを探して、男の人と付き合ってみたり、普通に女の子と付き合ってみたり。

 

自分が女性として生きるイメージは、どうしても肯定的にはとらえられなかったから。女装した自分、に対する嫌悪感が心の底には有ったから。今でも、本当は有るのかな? そこを突く出来事には、気持ちが過剰に振れる気がする。そのあたりは、わたしの弱点だと思う。

 

子供の頃から、わたしは比較的恵まれてたと思う。家庭環境や学校の成績とかで、いじめられにくい方。そんなわたしでも、やっぱり自分はいけない存在なんだって言う刷り込みの影響は受けちゃったな。

 

だから、せめて子供の頃に、SOGIに対する知識を肯定的に教えてもらえていたら、どんなに良かったろう、ってつくづく思うんだよね。

 

この間のお笑い特番の件でも、SOGIの多様性を肯定的に習ってたら、「でも、これって酷いよね」って言うのが分かる子が、クラスに何人かいるんだと思うんだ。本当に大切な事で、そして問題があるのは、ここだと思う。

 

そういう、肯定的な情報がない中で、変にセンセーショナルに取り上げられる性転換の話題とか、笑いのネタとして取り上げられる〇カマとかニューハーフとか。こうは成りたくないって情報が溢れてた。ホントは、せめてこう成れたらって感じるニューハーフの情報もあったけど。それを自分で認められないくらい、マイナスの情報が多かったな。

 

 

性別の違和感を、どう喩えたらいいのか、まだ考え中だけど、性別の違和感を押さえつけてる時の感じは、自分なりの喩えが見つかった。呼吸です。

 

子供の頃から時々見ていた夢でね。息をなるべく大きく吸ったり吐いたりしないでいると、空中に浮かべるって言うのがあってさ。呼吸を乱すと、落ちて死んじゃうの。

 

なるべく、浅く、ゆっくりと息をする。自分でも気づかないくらい。自分が息をしているって、気付かないように。

 

当時、わたしが目指していた‟心の底から男性だと思ってる状態”は、その延長の気がする。そうやって、どんどん呼吸を浅くしていって、一生、次の息を吸わないでいられたら? 呼吸をしていないのと、同じ状態になれる... 自分が息をしているのを気付かないようにじゃぁなくて。

 

これが、わたしの中にあった、そして今もきっとあるトランスフォビア。

 

 

あ、この間の投稿に、わたしのベッドルームの写真も追加してみた。ちょっと重めの話を書いたけど、わたしは今日も、熟睡の予感です。