父のところへ
行ってきました



とうとう食事を
止められてしまいました



ついこの前

父のゴルフ仲間である旧友が

わざわざ訪ねてきてくださって

楽しいひと時を過ごしたばかり


あれから

やはり嚥下機能が下がり

吸引するために食事してるような状態になってしまい

「食事は止めました」

との報告がありました



それで緊急に今後のことを決めるために

主治医に呼ばれました



今回は主治医の他に

主治医付き看護師

ケア棟の

介護士

看護師

ケアマネージャー

も同席でした


主治医の話では

「胃ろうするしかない」

「生命の尊厳を守る」

「まだ生きる可能性がある」

そればかり


私は

先日見せてもらった

今年初めに父と母が書いた

「これからの医療の希望」

について話しました


「胃ろうや延命措置はしない」

「自然のままに」

とあったように

父の気持ちを尊重したい

と言いました


すると主治医は

今はまた気持ちは変わってると思うよ

吸引があまりに苦しそうで

見ていて気の毒や

この前は

「こんなんやったら胃ろうの方がマシや」

かなんか父が言ったと

胃ろうをすれば

食事は取れないけど栄養は取れる

この先楽になるし

お父様の人格を損なわずに済む

と言うのです


この先…

この先に父にとって幸せはあるのか

胃ろうして一旦身体は楽になるとしても

気持ちはどうなのか


母が死んでから

父は恐ろしい幻覚をみるようになり

「自分は殺される」

「誰かが狙ってる」

「あいつピストル持っとる」

そんなことをよく言うようになりました


心療内科を受診して

薬を処方してはもらいましたが

やはり幻覚は消えず


穏やかな日もありますが

常に怯えて暮らしている

そして寂しいと嘆く

生まれ育った町へ帰りたいと泣く


私や孫たちが会いに行っても

その時は楽しく笑顔にもなるけれど

帰り際には

「また来てや」

がどんどん切実な叫びになってくる


帰り道には辛い気持ちになる








ヒートアップしていく話し合いの中で

ふと口から本音が出ました


私の本当のところの本音は

早く母のところへ行かせてあげたいということです

母が死んでから

「死にたい」「寂しい」「殺される」「帰りたい」

父は そればかり言います

そんな気持ちで2年も3年も生きて

幸せなんでしょうか?

今の父は本来の姿ではありません

本当の父はあんな人ではありません

父の人生を父らしく終えたい


心の声が勝手に出てきました



すると

看護師や介護士の方々が

大きくうなづいてくれて

私の気持ちに寄り添ってくださり

主治医 VS 私たち

みたいな形になってきて

みなさんが助けてくれましたビックリマーク!!



結果

【胃ろう】はお断りしました








私の祖母が

アルツハイマー病で施設に入る時

祖母のことが嫌いだった母に対して

「厄介払いした」ようなことを言って

非難してしまったことを思い出しました


しばらくは家で介護していましたが

限界にきたのでしょう


その時はそんな風に思って

酷いことを言ってしまったことを

今は後悔します


そこへ到達するまでには

父や母も悩んで迷って

やっとのこと預けることにしたのに

私はただ傍観者で当事者でもないのに

一時の感情で心無いこと言って

自分は何もしてないのに情けないと、

今になったら胸が痛みます


そのあと

父は祖母に「胃ろう」をしました

祖母を大好きだった父は

「生きていてほしい」

という強い思いがあったから


けれどそのことを

ずっと後悔していました

「死ねるに死ねずにかわいそうな事した」







話が終わり
父に会いに行きました

これまでになく
穏やかな父でした


今まで怖くて言えなかったことを
勇気を出して言ってみました

「胃ろうはやめることにしたよ」
「それでいいよね」

「胃に穴開けるのは嫌や」
「点滴でやってみるわ」

と明るく応えてくれました



苦しい吸引がなくなり
楽になったのでしょう
私にたくさんお喋りしてくれました




しばらくは点滴で過ごします
1日3本
1600カロリー
あるそうですビックリマーク