7月7日は
七夕に旅立たれた
婚家の祖父の祥月命日です

朝から
お寺の院主さんの息子さんが
お参りに来てくださいました(^人^)

この息子さん
とある仏教の学校に
宗教を教えにも行っておられるので
話し好きなのです

が、
姑や義姉には語らず
私にだけ長話をしていかれます
(お玄関で立ち話です)





今日は
生老病死 
のお話をしてくださいました

お釈迦さまの言葉で
人間の一生
四苦八苦の四苦にあたる







☆☆☆☆☆☆








☆☆☆☆☆







人は生まれる時に、
【この四つの苦しみを背負うことになるが
これを全うすること】
を約束して生まれてくると言う

この通り生きられたら
人は幸せ
人生は上手くいったという仏教の考えです



以前に
ポックリ亡くなるのは
幸せな死に方だと言われるが
そうではなく
本人や周りにも
悔いや悲しみが多く残る死に方であると
そんな考え方もあると教えてくださいました



そして
(身体や心も)苦しんで亡くなることは
今まで生きてきた中での
悪事悪態を浄化させるためで
来世生まれてきた時に
今より幸せな人生を送るために苦しみがある



ポックリ逝く方は
今世の悪事を浄化できずに、
来世に持ち越すことになる



とも説うておられました



病気になる事は怖いことでも不幸なことでもなく
人の道だと
言ってくださいました



ありがたいお言葉
よく勉強してらっしゃる



病に苦しみ
絶望している姑の姿を見て
そんなことをおっしゃられたのでしょうか



しかしながら
無駄なはないとも言われました



その人がいるだけで元気が出るとか
そばにいるだけで心が温まるであるとか
ただ寝ているだけでも
祈りを挙げているのかもしれない
まだ必要とされている命だから
生かされている
利他の命とも言っていました
(周りに利益がある命)


ただ
その生き方によっても
生の意味は変わってくるとも
平癒する事はない身体で
辛い苦しいと言いながら生きるよりは
生かされてありがたいありがたい
と生きる方が命の意味はあるとも



以前
私が感動した
H大病院の先生のお言葉にも
通じるお話しですよね



姑の命は
まだ誰かの支えとなっているのでしょう










この息子さん♡
20年ほど前から院主さん(父)の代わりに
月命日にお参りに来られていましたが
あの頃
まだ20代
若かった息子さん
イヤイヤ檀家周りしているのか丸わかり!
ちっとも
やる気が入らない感じで来られていましたよね〜
お寺でも
趣味のチェロばかり弾いていたとか🎶



このようなありがたいお話を
できるような人ではありませんでした



でも、
会ってお話を聞いていく度に
立派な住職さんになっていかれています




…ただ
私にはこんなにお話しできるのに
院主であるお父様とは
長い年月向かい合ってもいないとか…




七夕なんだから🎋
お話ししてくださいね〜
親は話したがっていますよ(^人^)











聞いてあげることで
若い方も成長して
聞いている私たちも心が豊かになります




ありがたいお話し聞けてよかったです♡



忘れないうちに
急ぎ書き留めました٩(๑❛ᴗ❛๑)۶