姑は大阪は中之島の病院から
吹田市にある
O阪大学附属病院に転院しました🚑



あれからベッドが空くまで
中之島の病院で数日待機して

姑はほとんど歩けなくて車椅子のため
私と子どもたちで車で送り届けました



国立大学附属病院ですので
今までのように
高級リゾートホテルのようにはいきません!


いいように言えばシンプル
悪く言えば
殺風景でムショのような病棟です(≧∀≦)



姑は『個室がいい』と訴えましたが
個室は術後1日だけ入れると
他はよほどの重症患者でない限り
4人部屋に入ります( ̄ー ̄)



もうその時点で姑はダダをこねて
『こんなところイヤだ
 前の病院に帰りたい』と文句を言い続けています
(ええ加減にセーヨ( ̄^ ̄)!!)



転院してからも
検査じゃなんじゃで1週間
それから手術も順番待ちです



同部屋の隣のおばあちゃんも
同じように心臓の人工弁置換手術を待ってらして
同い年くらいなのに
姑とは全然違う…



気丈で元気でしっかりしてらして
身の回りのことは全て自分でできるという
当たり前のことができる高齢者が
眩しくて後光がさしているように見えました☆
  ・:*+.\(( °ω° ))/.:+



手術
首の血管からカテーテルを入れて
心臓の弁を入れ替えます

隣のおばあちゃんもそうでした

術後も元気で
すぐにスタスタ歩いていました╰(*´︶`*)╯♡




ところが姑の場合は違いましたΣ( ̄。 ̄ノ)ノ

血管がボロボロで
カテーテルを入れると血管が破れて
出血する危険があると判断され

結局、開胸したのですΣ(゚д゚lll)

胸を8センチほど切り
骨も切って
直接心臓の弁を入れ替えたそうです((((;゚Д゚)))))))




手術は見事に成功!

開胸したことは術後に知らされて驚きました!

この年齢では開胸手術には耐えられないだろうから
カテーテルでしようと言われていたのに
急遽開胸手術に!!

それも術後数時間で目が覚めていました!
本当に驚きです‼️
姑は朦朧としていましたが
ハッキリと私の顔が分かったみたい‼️
ホッとしました(*´꒳`*)



術後は集中治療室を経て個室に移され
姑はご機嫌でしたが
やはり24時間後には4人部屋へGO BACK👎👎👎



そこからはリハビリ😱😱😱



ダンディさんのように
長い廊下を
色々ぶら下げながら歩かされていました 
(看護師さんが付き添ってくれていました)

(姑の一番苦手なやっちゃ!)

姑だけではありません
たくさんの患者さんが何往復も歩き続けていました
皆さん意識高いです!!



それから数日後
術後1週間はなかったと思う
やっと退院の日
病院側も
次の人が入院を待っているから
早く出て行ってくれ、って感じでした(^_^*)



退院は
夫と私で迎えに行きました


先生方が、外来、手術、回診、
の合間を縫って会いに来てくださいました


手術に携わってくださった先生方
心臓外科、内科、血管、
3人の名医と呼ばれる先生方が
最新の素晴らしい医療技術で
姑の命を救ってくださいました




先生が姑に言ったんです


【あの時、
胸切ってなかったら1ヶ月くらいで死んでたよ!
死ぬまでの準備期間を与えられたと思って
あと3年か5年かもっとかも知れない
せっかく与えられた命だから
どう生きて
どう死ぬか
よく考えながら
命を大事にして生きてください】


こんな言葉をくださったのです!


わたし、感動しました(*☻-☻*)♥︎


姑の身体を治してくださるだけではなく
こんなお言葉までくださって


おまけに言うと
今回の手術、治療は治験】です


よって
何千万かかったか分からないけれど
かかった費用は部屋代だけ
手術、治療、薬代は、
【ALL FREE 】ということなんです!!


もう感謝しかないです!!





姑は分かっているのでしょうか?




『胸、切られた』

『切らへんって言ってたのに騙された』

『実験台にされた』



…会う人会う人に
そんな風に言うのです…



もう情けなかった(°_°)



嫌悪感すら覚えた( ̄◇ ̄;)



あの手術にかかった費用と技術



もっと生きたがっている患者さんに
まわしたってくれ!!(● ˃̶͈̀ロ˂̶͈́)੭ꠥ⁾⁾










…Nもとさんはと言いますと

来てるに決まってるやろーーー

しかしこの後

完全に永久に出禁となる事件が!












もうちょっとだけつづく…