私の実母と

多分2人では初めての♡ランチ♡

大阪は梅田茶屋町にある隠れ家的レストランで

オサレなフレンチ食べてきました( ◠‿◠ )♪




「炭を練り込んだチップス)




この歳(アラフィフ)になって

今まで1度もランチした事ないなんて驚くでしょうが

夫の親と同居していたら、そんなもんですよ

特に姑は私に執着がひどくて

私の実家を毛嫌いして里帰りも許してくれませんでした( ;  ; )




…しかし鬼姑も最近ボケてきて(°▽°)

私にあまり関心がなくなってきたので!!

自由にお出かけできるようになったのですよーーー





(ブリの燻製)




そんなわけで

長女の結婚の折にはお祝いやら

遠くまでご足労かけ色々お世話になり

そのお礼も込めて、私から招待しました(*'▽'*)☆




(オーガニック野菜たち)




母とは、実は、あまり仲良くはありません(><)

めちゃめちゃ私は厳しくして育てられました

なぜかと言うと、私は2人姉妹の長女ですので
私に婿養子を取らせて跡継ぎにするために厳しくしたのでしょうが

それは逆効果で

私はそんな母が嫌いで

こんな家から一日も早く離れたくて

早くに結婚して家を出たのです(^^)




(生野菜をバーニャカウダソースで)




でも思い返せば

私に厳しくなったのは中学生くらいからで

それまでは妹と同じように可愛がって育ててもらっていたと思う

たぶん、たぶんですが、

男の子を授かるのを諦めた時点から

私に厳しくなったのかも知れません





(ジャガイモのポタージュ)





実家は何代も商売をしていたので

跡継ぎが必要で

親戚や会社の人などからプレッシャーもあったろう

今になってみると

ただただ父が好きで東京から嫁いできただけなのに

色々な任務を課せられて

嫁として女として辛かったろうにと

同情することができます





でも当時は母が嫌いだったなー(><)





(北海道産牛肉のステーキ)1番美味しかった!





そんな母とも

やっとこの歳になって

向かい合って自然に話せるようになったのは

子供たちの存在があったからかも





節目節目の行事では
お祝いを欠かさずしてくれました

会うたびにとても喜んでくれますし

私を通り越して子供たちと心を通わせて

可愛がってくれている姿を見ていたら




なんのために
いつまでも憎んだり恨んだりしているのか
馬鹿らしくなってきて




年老いてきた父や母と話したり出来る時間も

もう何十年も無い、と気づいてからは

一緒に過ごせる時間を出来るだけ作らなきゃ!

と思うようになりました(#^.^#)







(お好きなデザートを好きなだけ)





そんな母娘の初めてのランチですが

あまりにオサレすぎて( ・∇・)




最初の煎餅から

「コレ食べもの?」

   (…たぶんそうよ、食べ物よ)

「生の魚はムリ」

   (燻製なんやけど…)

「なんで生野菜?せめてチンして」

   (イヤイヤ、生がウリなんでしょ!)




と、なんやかんやお喋りしながら

いい天気の空を眺めながら

梅田の都会の風景も
「あのビルは何?あんなのあったかしら?」と楽しみながら

2時間ほど平日の真昼間に

ゆっくり過ごさせてもらいました(*☻-☻*)



「子供にご馳走してもらえるなんて
 宝物のような時間だったわ」と、母



誘ってよかったです!

私も楽しかったです♡













これで

徳島で稼いだお小遣い

Dマン→Cマン→残りわずか(><)

あとは美容院に行ったら無くなるでしょう!



有意義に使えたーーー(((o(*゚▽゚*)o)))♡