否抵抗平和主義
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天王山 挑む山脈⑤

 さて,明日は中盤~終盤~フィナーレ

 

 そしてまたオープニング

 

 そういえばウェルカムコンサートもあります。

 

 今までの楽団もそうだったように,私たちは一時も歩みは止めません。

 

 県大会

 

 職場内でのコンサート

 

 全方位活動です。

 

 巷ではPV稼ぎで~改革といって口だけ突っ込んできます。

 

 社会教育でも商業教育でも公教育の一環でも地域のボランティアでもよいのです。

 

 どれにも成功事例も失敗事例もあるからです。

 

 私は現場に踏みとどまり,若人たちとともに明日は最初の天王山に挑みます。

 

 そして天王山は続き,山はいずれ山脈だったことに気づかされます。

 

 しかし,アタックは続くのです。

天王山 挑む山脈④

 そうこうしながらも,そこからはうちの楽団でも,

 

 自治体の若年楽団の中でもこの曲は毎年の定番曲になりました。

 

 でも,県大会でするのは11年ぶり…

 

 そしてコンテストとしては初めて…

 

 さらに,前任地の楽団では簡易編成対応に対し

 

 今回はフル編成で挑みます。

 

 この修羅の国の楽団で7年目

 

 常任指揮者5年目にして,ようやく音楽科の授業では解明を書かない、

 

 もしくは自力で書けるようになり、

 

 リズムは自分で数えて認識して読めるようになりつつあります。

 

 そして,楽団の方はほぼ自力で読譜・練習で進むようになりました。

 

 よく…間に合った…のか…

 

 

天王山 挑む山脈③

 マスコミ対応は7月の後も続き,

 

 12月の選抜,そして最後の県大会…ここで演奏したのが今回の私たちの演奏曲です。

 

 灼熱の太陽の主力全部がマスコミ対応で抜け,

 

 2年目組が必死に努力をし

 

 10月の自治体の体育祭の直前にひよこ組と2~3年目のやっと一人前のニワトリたちだけでこの大編成曲を完成させたときは,

 

 まさに努力が呼んだ奇蹟を感じました。

 

 まあ,これに別の曲を絡めて12月の県大会では時間オーバーで舞台裏で理事からとっちめられたのは痛い思い出です。

天王山 挑む山脈②

 この曲は,前任地の10月の自治体の体育行事の開会式の入場行進で

 

 自治体の若年楽団の合同バンドとして毎年演奏をしました。

 

 毎年,県の中音楽器の名手として知られるマエストロKの指揮で

 

 私はアシスタント件事務局をしていたのも懐かしい思い出です。

 

 そして,12月の県大会でも一度演奏しました。

 

 灼熱の太陽の年

 

 最も熱く,指揮者の私ですら燃やし尽くされそうな若人たち…

 

 しかし,マスコミの一年限りの思い付きの打ち上げ花火に全首席を取られ,万事休すでした。

 

 あの頃は空調もなく,

 

 午前中にマスコミ向けの練習をし,

 

 午後は疲れ切った身体で大会の練習をする。

 

 汗という塩水が流れ続け、水を飲むことがただの出たものの循環となる…

 

 そんなことを毎日…

 

 前年度には二人のソリストがこがねをとる大金星で,トップを目指していたというのに。。。

 

 

天王山 挑む山脈

 5月が気づいたらおわります。

 

 今年の7月の大会は,満を持して大編成の王道を行くマーチです。

  

 昨年度は,私たちの楽団の記念曲でしたが,

 

 今年は支部の30周年記念曲。

 

 私たちの県・支部では往年の名曲であり,私も現役時代に演奏をしました。

統合整備計画⑧

統合整備計画⑦

 まあ、特務科で5年を過ごしつつここの楽団を指揮し

 

 40回記念定演も終え、

 

 恐らくこの地で最後の年

 

 特務科では3年で2回の労災に、

 

 自走がらみを5年連続

 

 関係法令無視の職場環境でしたが…

 

 ようやく6年ぶりの音楽科復帰で件の大型楽器の実践投入最後のチャンスです。

 

 とりあえず,5月のウェルカムコンサートで

 

 ○る○る △リ◇🐎でもしようと思います。

 

 主室の後方に長机で楽器の2段収納スペースを作ったので,恐らく10数年ぶりに

 

 主室への帰還。

 

 実践投入も10数年ぶりかな~

 

 

統合整備計画⑥

 そして、今回の統合整備計画の目玉が

 

 プロ仕様の輸入物の大型マリンバです。

 

 よく、年少カテゴリーの我々がおわったおわった~と楽器搬出をしている頃に

 

 上級カテゴリーの方々が、組み立てているあれです。

 

 かれこれ30年近く前にうちの楽団が日本一になった時に

 

 自治体内の楽友協会?に買ってもらったとか。

 

 私が,約20年ぶりにうちの楽団を県の連盟に復帰させたときに

 

 その時の常任指揮者が連盟の常任理事で…

 

 開口一番

 

 「~はすごいでしょ!!」

 

 …音楽家の主室の外の階段の踊り場に放置されていて廃棄寸前だったとは…

 

 いえないいえない

 

 それでも,大きさもですがこれはフルバンドでも

 

 ソロ・アンサンブルでも

 

 使いこなすのは上級者向け…

 

 当時のレートでも100万以上はしたはず…

 

 なんで,長く万人が使える楽器にしなかったかな~というのが私の感想でした

 

 

 

統合整備計画⑤

 続いて楽団関係

 

 まず、なぜか奥にあった2代の大型の事務机を思い切って外に出す。

 

 中にあった筆記用具は約1年放置されていたプラスチック多段たなに統合整備

 

 ラミネートフィルムは楽団支援部の棚に統合整備

 

 楽器メンテナンス用品は執務室の棚の空きに統合整備

 

 さらに、長机をうまく利用して大型楽器置き場を2段化することで

 

 劇的にスペースを確保

 

 みるみるうちにスペースに余裕が生まれていきます。

統合整備計画④

 さて、本題の統合整備計画はようやく4月の第3週から発動です。

 

 まずは,楽団の表彰記録の掲示を…○年サボっていたので

 

 壁に掲示用のヒストン等を10数本打ち込んで親指はまめができる

 

 執務室に、音楽科と書道科のスペース作り

 

 稼働率の低い旧世代の消耗品はほぼすべて廃棄

 

 それに合わせて棚の中身を統合してスペースを作り、

 

 粛清を逃れた稼働率の高いものを統合して入れていく。

 

 

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