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ユウスケのDaily Report

1日1テーマ、学んだこと、気になったこと、疑問に思ったことを書いていきます。

みなさん、はじめまして!

ユウスケと申します。


この度、『ユウスケのDaily Report』と銘打って、ブログを開設しました!!


記念すべき一本目は、自分自身のReportです!


「どんな人がどんなブログを書くのだろうか...」

という感じで楽しみにしていただけたら嬉しいです!


まずは、基本情報から!


生年月日

1989年(平成元年)9月12日

血液型

AB型

身長

166cm

最終学歴

四年制大学の法学部 卒業

職歴

18歳~23歳 塾講師

23歳~33歳 法律事務所の事務職員(パラリーガル)

33歳~   webライター

34歳~   JTT CAFE STAFF


基本情報がわかったところで、「ユウスケ」という人物がどうやって形成されたのか、深掘りしていきます!


ゲーム

4人きょうだいの3番目に産まれた僕。


姉や兄がファミコンやらスーパーファミコンやらをやっていたのを横で見ていましたから、当然自分もやり始めるわけです。


幼稚園の年中さんとか年長さんあたりで、毎日やっていたと思います。


小学生になると、学校が終わった後、自宅に友だちを呼んで、夕方5時のチャイムが鳴るまでゲームで遊んでいました。


外で遊ぶとなっても、RPGゲームのごっこ遊びをするぐらいですから、筋金入りです。


そのおかげなのか、暗記物の教科は全く苦ではなかったですし、なんなら、言葉の意味や自然の摂理もゲームで知ったと言っても良いかもしれません。


そういう意味で、ゲームは「ユウスケ」という人物をつくった要素なのです。

(ドラゴンクエストとポケットモンスター、ありがとう...!)


Tuba

中学生の頃、何かしらの部活に入っていたという方が多いかと思いますが、僕もその一人。


ゲームをやっていると、ゲーム内で流れる音楽にも興味が湧いてきます。

加えて、学校の授業も体育より音楽が好きだったというのもあったので、吹奏楽部に入りました。


担当楽器はTuba(チューバ)という楽器に決まったのですが、選出理由が吹奏楽部あるあるで、「男子だから」というもの。


Tubaという楽器は大きくてそこそこ重たいというのもあって、同学年で男子が僕しかいなかったため、選ばれたのです。


(Tubaの見た目が知りたい方は、検索してください!秒でわかるので!)


このTubaとの出会いが、良くも悪くも、僕の人生の軸が生まれるきっかけになります。


 〝プチ〟力自慢

他の地域もそうなのかはわからないのですが、力自慢の象徴として「肩パン」(上腕二頭筋あたりを殴る)、「腹パン」(腹直筋を殴る)という遊びが一部で流行っていました。


これは「パンチをどれだけ耐えられるか」という、いわばチキンレースです。


先ほど言った通り、Tubaは大きくてそこそこ重く、楽器を吹きこなすための体力づくりをしていたので、それなりに体が鍛えられていました。


それで、このチキンレースの餌食になってしまうのですが、意外にも好成績を残してしまったのです。


「力こぶとか腹筋が褒められた」

「強い男として認められた」


みたいな感じで、嬉しさがあったので、そのチキンレースに参加を続けていたのですが、これがマズかったのです。


 〝プチ〟力自慢 から カツアゲ へ

「肩パン」「腹パン」という遊びがどんどんエスカレートし、いつの間にかチキンレースから「殴ったら○○円払え」というアンダーグラウンドなものになっていました。


断っても無理矢理殴り役にされ、「明日、金持ってこい」と言われる日々が始まります。


実際、親に「部活で使うから」と嘘をついて、お金をもらって渡しました。


この状態になったら、逃げるために学校に行かないという選択をする人が多いかもしれません。


でも、僕は1日も学校を休まず、毎日登校をしていました。


これができたのは、皮肉にもTubaの存在があったからです。


この「肩パン」「腹パン」遊びを発端とする一連のできごとは中学2年生の2学期~3学期にかけての長い期間続いていたのですが、中学1年生の時の「3年生を送る会」で体育館で演奏した後、先輩から「上手になった!」「後を任せられる!」といった言葉をいただいたり、同期や後輩に「いないと困る!」と言われていたので、穴を開けるわけにはいかないと思っていたのです。


それと、Tubaを吹いて全員で合奏していると、悪夢のようなできごとを一時的ではあるものの忘れられました。


しかし、それでも耐えきれなくなり、吹奏楽部の顧問の先生が担当だったある日の音楽の授業後にこの一連のできごとを打ち明けたのです。


 事件解決、そして...

音楽の授業は、移動教室だったので、クラスの教室には戻らず、会議室で学年主任の先生にも一連のできごとを話して、当事者の親同席で今後のことに話し合いをすることになりました。


話し合いが終わり、事件が解決した後、周りが違和感を感じて色々と詮索はされましたが、「学年でただひとりの男子吹奏楽部員」として認知されたのと、Tubaの物理的な存在感の大きさも相まって、たくさんの人と仲良くなって、中学3年生の1年間は楽しく過ごせました。


こうしてTubaは、僕にとって、ひとりの人間として認知してもらえるためのアイテムとなったわけです。


高校生になっても大学生になってもTubaを続けたのは、今思うと、人に認知される喜びを感じられると思っていたからかもしれませんね。


法律

Tubaとの出会いが僕の人生の軸が生まれるきっかけになったのが、前述の「一連のできごと」というわけなのですが、「この一連のできごと」があるものの存在を僕に気づかせてくれました。


それが法律です。


顧問の先生や学年主任の先生に打ち明けるまでは、「一連のできごと」への対処方法が


「我慢する」

「耐える」


という方法しかとれませんでした。


ある日、テレビを見ていたら、弁護士という人が法律というものを使って、人同士のトラブルを解決する方法を教えている場面に遭遇しました。


この時、「まさに今の僕じゃないか!」と思ったわけです。


「我慢する」「耐える」必要はなく、暴力で対抗せず、法律という「ルール」を使って対抗することで、トラブルを解決できることを知った僕は、弁護士という言葉に惹かれていきます。


「弁護士になれたら、人助けできてカッコいいし、何でもできそう」


そう思って、

「大学は法学部のあるところ」

と子どもながらに弁護士の夢を持ち始めたのです。


無事に法学部のある大学に合格して、法律の世界に足を踏み入れることになります。


かなり長くなってしまった気がしますが、


●ゲーム

●Tuba

●法律


これらが「ユウスケ」という人物をつくった、いわば三大要素です。


ただ、大学に入学してから、少しずつ狂っていきます。


髄膜炎になる

大学1年生の後半期に入ってすぐのこと。


体がだるい、ボーッとする感じがして、「風邪だろう。寝れば治る。」と思って放置していました。


しかし、一向に治らず、頭痛や吐き気がひどくなるだけ。


とうとう我慢できずに病院に行ったところ、「髄膜炎」という診断を受けました。


髄膜炎というのは、脳や脊髄の表面を覆う髄膜という部分に炎症が起きる病気で、ウイルス性のものと細菌性のものがあります。


炎症が起こる場所が場所なので、特に細菌性の髄膜炎の場合、後遺症が残る可能性がある重たい病気です。


入院して治療を受けることになるのですが、3ヶ月くらい入院していたので、大学1年生の後半期は丸々潰れてしまいました。


目立った後遺症もなく、無事に復帰できたのは良いものの、「単位の遅れと学生生活の遅れを取り戻さなくては!」という念に駆られてしまったのです。


その念に駆られていたおかげで、友だちとごはん食べたり、遊びに行ったりもできて、特に大学3年生、4年生の頃はゼミの同期と旅行に行ったりしてましたから、「大学生してるな~」と思う反面、弁護士になるための法律の勉強をちゃんとやっていませんでした。


僕が大学4年生の頃の弁護士になるためのルートは、法科大学院(ロースクール)を修了し、司法試験の受験資格を得て、司法試験に合格するというのがスタンダードでした。


その勉強をサボっていたわけですから、当然ロースクールには受からず、大学を卒業することになります。


法律漬けの生活にはなったものの...

さすがにこれはマズいと思って、大学卒業後に司法試験のための予備校に入り、本格的に法律の勉強を始めました。


塾講師を続けながら予備校の講義を受ける生活をしていましたが、法律漬けの生活にしたいと思い、塾の講師を辞めて法律事務所の事務職員(パラリーガル)になりました。


法律事務所の事務職員(パラリーガル)は、弁護士の補佐業務をする立ち位置になので、弁護士になりたい僕にとっては最高の職業なわけです。


パラリーガルの業務量は、弁護士の裁量によって変わるので、言ってしまうとピンキリです。


僕は業務量が多いパターンだったのですが、同僚がたくさんいたので、愚痴を言いつつも、その同僚と楽しく仕事をしていました。


ただ、それが良くなかったと今では思っています。


というのも、パラリーガルで働いていれば毎月給料が出るし、仕事が終わってから飲みに行ったり、休みの日は趣味の時間に費やすという、世間一般的な社会人の生活に心地良さを覚えてしまったのです。


でも、ふと我に返ると、


「俺は何をしているんだ?」


と思うわけで、なんだか負けた気になってしまうこともしばしば。


法律業界の職業に就いたとはいえ、あくまで補佐役。

やれることは限られる。


さらに、あくまで一部ではあるのですが、クライアントに行うべき手続きをパラリーガルに丸投げするという実態があり、それを目の当たりにした僕は、


「本来ならば弁護士がやるべき仕事なのに、なぜパラリーガルがやらないといけないのか?」


という疑問を持ち始め、精神的にどんどん疲弊していきました。


そして、とうとう2022年の8月、適応障害になりました。


半年ほど休んで、パラリーガルの仕事に復帰しましたが、ぶり返してしまい、2023年5月に法律の世界から離れることにしたのです。


パラリーガルという名の「社畜」時代に生まれた欲

狂っていくとは言いつつも、決して悪い方向に狂っていったわけではありません。


社会人になると、大人の欲と言いますか、そういうのが出てきます。


「良い体にして、夏のビーチやプールを練り歩きたい!!」


要は「モテたい」というヤツです。


パラリーガル時代のある日、同僚の男性と二人で、体をつくってプールに行く計画を立てました。


期間は2か月くらいだったでしょうか。


僕にとっての「良い体」は格闘家の体だったので、それを目指すべく、ダイエット方法をインターネットで探し始めます。


なぜ、自分にとっての「良い体」が格闘家の体なのかというと、これはゲームの影響ですね。


ゲームの格闘家キャラの体は整いすぎているように見えますが、リアルの格闘家の体を見ると、意外とそれに近いんですよ。(笑)

(現実をイメージしやすいように、山本"KID"徳郁選手を理想にしてました。)


そして、意外と早く元プロの総合格闘家が教えるダイエットという、まさに探し求めていたものを見つけることに成功します。


この時はさすがに期間が短かったので、体重と体脂肪率が減った程度でしたが、食事と運動の組み合わせで絞れることに感動を覚えました。


これをきっかけに、自分にとっての「良い体」を手に入れることに対する熱が入りました。


「格闘家の体が理想ならば、格闘技をやろう」


そう思って、2017年、28歳になる年で総合格闘技の門を叩きました。


総合格闘技を続けて、テクニックは身についてきたのですが、思った通りの体つきになっていないことに気づきます。


その理由は明白で、フィジカルトレーニング(筋力トレーニング)不足でした。


格闘技の練習でもある程度フィジカルは鍛えられるのですが、それ以外のフィジカルトレーニングをしていなかったから、理想の体になっていないのかと思って、パーソナルトレーニングジムを探し、入会しました。


パーソナルトレーニングジムの入会が2022年の1月なので、だいぶ気づくのが遅い気がするのと、法律はどこへ行ったのかということで、狂っていったわけです。


ボディメイクの大会出場が自分の人生を変えるためのトリガーに

パーソナルトレーニングジムのカウンセリングの時に、先ほど話した運動遍歴を伝え、計画を立ててもらい、いざトレーニング開始。


その結果、2022年1月時点の体重は62.8kg、体脂肪率は16.8%だったのが、2022年の4月の時点で体重が53kg台、体脂肪率が1桁になるくらいまでになったのですから、驚きです。


ただ、この頃は法律の世界に対する疑問を持ってしまって精神的に疲弊していた時期と重なっていて、トレーナーさんとのセッション時は空元気状態でした。


適応障害と診断された時期ぐらいに、パーソナルトレーニングのジムの名前を冠するボディメイクの大会の開催が決定し、ジムの会員さんのみが出場できるカテゴリーがあるということで、これに出場しないかとトレーナーさんに打診されました。


体調が体調だったのと、なんとなくのモチベーション維持のためにというこじつけで生返事をした気がしますが、この生返事が思わぬ結果をもたらしたのです。


このボディメイク大会は11月末に行われるとのことで、残りの約3ヶ月で大会に向けての準備を進めることになります。


大会の日が近づくにつれ、上手くできるか不安になってきて、落ち着かない日々を過ごしました。


しかし、大会当日を迎え、会場内に入った瞬間、そんな不安はすっかり消えていました。


かつて、Tubaを吹いていた頃のステージに上がっていた自分を思い出し、気持ちを作ったことで不安を払拭できたのかなと今では思います。


大会の結果は下から数えた方が早いくらいの順位で、正直悔しかったです。


ボディメイクの大会に初めて足を踏み入れて印象に残ったのは、出場者同士が互いに讃え合う光景が度々あって、これに心を揺さぶられました。


生返事で出場したボディメイクの大会だったはずが、「筋トレを極めたい」と思ったできごとに変貌したのです。


ちなみに、これがパーソナルトレーニングジムに入る前の体で...

↓↓↓

これが大会当日の体です。

↓↓↓




今はどんな状況なのかというと...

2023年の5月にパラリーガルの仕事を辞めてすぐの頃は、興味があったwebライターの仕事をしたり、イベントスタッフの仕事をしたり、大好きなゲームをしまくったりと、自分の中ではわりと自由だなと思って過ごしていました。


この時期は、格闘技の練習も筋トレも休んでしまっています。


そんな中、2023年11月、格闘技をやっていたことと司法試験の予備校に通っていた頃に出会ったとある弁護士の存在という2つのピースが合わさる、奇跡的なことが起こりました。


それが、今カフェスタッフとして働いているJTT CAFEです。


JTTというのは、東京都港区、赤坂見附にある格闘技ジムで、JTTが運営するカフェなので、JTT CAFEというわけです。


ここでは、自然と格闘技の話題が入ってくるので、練習に行きたくなり、そうなると、筋トレもしたくなる。


そして、気づきます。

自分が輝ける場所に。


これまでの職歴を見てもらうと、今までの仕事は全部「人助け」になっている仕事であると。


今、最も熱量が多いのが筋トレだったので、今月からパーソナルトレーナ-になるためのスクールに通い始めました。


去る7/3(水)、スクールでの初回の講義があり、「フィットネスとは?」という話になりました。


「フィットネスとは、身体的、精神的、社会的に完全で良好な状態のことである」


この定義を耳にして、「法律をこの定義に結びつけることができるのではないか」と思ったのです。


結局何が言いたいのかというと、自分の人生の軸が狂ったと思っていたけれども、実は狂っておらず、ずっと変わっていなかったんだということです。


形が変わっただけで、やりたいこと、やるべきことは寸分も変わっていなかった。

これに気づいたのです。


ここまで来れば、あとは行動あるのみ。


それが今の状況です。


 まとめ

ものすごく長くなりましたが、自分自身のReportは以上です!

自分自身をReportして、僕は法律と筋トレを通じて人助けがしたいんだということが改めてわかりました。


したがって、『ユウスケのDaily Report』は法律と筋トレの話がメインとなります。


たまに、格闘技、カフェ、ゲームの話もすると思います。


一度きりの人生、その軌跡を残し、ひとりでも多くこのブログで救われたという方が出てきてくださると嬉しいです。


これからよろしくお願いします!