優勝は 新山 響平 選手‼️


地元記念優勝🏆 

おめでとうございます✨






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開設69周年みちのく記念競輪「善知鳥杯争奪戦(GIII)」が9月5~8日の日程で青森競輪場で開催された。
別線とはいえ北日本勢が大挙6名勝ち上がった決勝戦は4車の先頭を任された藤根俊貴が
打鐘から主導権を握ると、番手の新山響平が気持ちに応えて最終バックから番手まくりで地元記念初優勝。
今年6月函館以来となる通算3度目の記念優勝を飾った。なお、ブロックセブンは岩本俊介が勝った。

北日本勢は別線勝負になったとはいえ、新山響平のラインは4車。藤根俊貴を先頭に前後に援軍は
充実していた。先月23日には競技での落車もあり、万全の体調での参戦ではなかったが、
藤根が主導権を握るとその気持ちに応える番手まくり。猛追してくる渡邉一成らを振り切った。
「藤根や後ろで2人が固めてくれたので。(番手から)ちゅうちょなく出させてもらいました。
あんまり2段駆けは好きじゃないけど、藤根が行ってくれてるし、後ろの2人もいるので。
師匠(坂本勉)には地元記念はGIと一緒と言われてたし、ホントにうれしい」
決勝戦は番手が響平、3番手が将史と新山兄弟の連係が注目を集めた。「2人で決勝に乗ったことが
僕的には奇跡」と話すが、決勝戦では兄弟ワンツーを決めた。
「みなさんのおかげで優勝できた。準決勝でも迷惑をかけてるし、一人で戦ってるんじゃないな。
競技とは違うところがある。そこは楽しいし、うれしい優勝だなと思います」
次走は今月29日からのいわき平FI。その前に14日からは全日本選手権に出場する。
「まずはこれで競技に専念して。また明日からしっかり練習したい。競輪でもGI決勝の
常連にならないといけないし、自力の部分を磨いて自力で記念を優勝できるように」
ナショナルチームで活動をはじめてから、これで2度目の記念優勝。競技と競輪の両立で
さらに自分自身を磨いていく。

新山響平のまくりに口が空いてしまった新山将史だったが、離れながらも追いかけると
渡邉一成の追撃をしのいだ。
「3番手という意識が強くて締めとかなきゃと思ったら口が空いた。離れず付いていっても
差せてないでしょうね。離れるだろうとは思ってたし、あとはどこまで詰められるかって感じでした。
(決勝で兄弟連係)自分的には連係ができた時点で、もっと言うなら同じあっせんがうれしかった。
先輩、後輩の頑張りでたまたま恵まれただけ。感謝ですね」

2コーナー、6番手からもう然とまくった渡邉一成だが、前は遠く3着まで。
「遠かったですね。(打鐘前に内をすくって小原太樹の前に)あれはアシストのつもりはなかった。
あそこで藤根に行かれたら8、9番手になると思って体が反応した。でもそのあと小原に
出られたのが余計だった。山賀(雅仁)さんが遅れたので、そこ(6番手)をキープして。(伊藤)大志さんに
追いついたと思ったら、大志さんも離れてて。だから遠かったです。悔しいです、負けて」

逃げて新山響平の優勝に貢献した藤根俊貴は安どの表情でレースを振り返る。
「完ぺきです。良かったです。小原さんはあのくらい(青板前)で来るかなと思ってたし、
あとはどうするか。(小原を)前に出してから行こうと。響平さんもジャストのタイミングで
まくってくれた。僕はこのために決勝まで来たので。今まで新山さんは前で頑張ってたので、
僕も下が出てくるまでは前で頑張りたい」

小原太樹は打鐘前に渡邉にすくわれてしまったことが痛かった。
「菅田(壱道)さんのGI(8月オールスター決勝)のこともあるんで、1回切っての勝負だった。
5番手に引いたところでね。前々に行く自分のスタイルもあるし、地元だろうが遠慮せずに
飛び付くつもりだった。難しいですね」


レース経過
号砲で出た渡邉一成が前受けで、守澤太志が続く。以下は、北日本別線の藤根俊貴-新山響平-新山将史
-伊藤大志、南関ラインの小原太樹-山賀雅仁-伊勢崎彰大は後ろ攻めで周回を重ねる。
青板手前から動いた小原に、中団の藤根が反応して小原を出させない。突っ張られた小原は、
赤板手前から再び踏んで赤板過ぎにハナに立つと、イエローライン付近まで上がって藤根を牽制する。
しかし、1センター過ぎで渡邉にすくわれて先頭が入れ替わり、そこを打鐘で藤根が一気に叩いて
主導権を握る。合わせて踏んだ小原は5番手に入ったが、後ろの山賀は離れてしまい、渡邉が
6番手に飛び付いて最終回へ。ハイスピードで逃げる藤根に、渡邉が2コーナーから反撃に出ると、
同時に新山響がバックから番手まくりを放つ。好回転で迫る渡邉を力強く振り切って、
地元記念初制覇を達成した。新山響の踏み出しに車間が空きながらも、懸命に追いかけた新山将が
2着に続いて兄弟ワンツー。猛烈なスピードで迫った渡邉は3着までだった。








ではまた祭祭祭祭祭祭祭祭