優勝は稲垣 選手

初優勝おめでとうございます‼

近畿勢のイン切りからダッシュで脇本 選手の逃げで決まり‼

平原 選手の飛び付きをシャットアウトプンプンプンプンプンプン

ラインの絆が生きたレース

心技体 充実したなかで勝てた✨

グランプリ指定席で村上 選手と待機に…………

残すは競輪祭



ケイリンメールマガジンを参考に……✴


前橋競輪場を舞台に開催された平成28年熊本地震被災地支援「第25回寬仁親王牌・
世界選手権記念トーナメント(G1)」は、10日に最終日が行われた。大挙5人が決勝に
コマを進めた近畿勢は2つのラインに分かれ、主導権を握ったのは京都コンビを率いる
脇本雄太だった。絶好の展開が訪れた稲垣裕之が、最終バックから番手まくりを放ち、
平原康多の猛追を退け優勝。念願のG1制覇を成し遂げ、優勝賞金2890万円(副賞含む)を
手にした。

“近畿の仲間”
04年、初めてG1の決勝進出から12年の歳月が流れた。12度目の大舞台でついに
タイトルをつかんだ稲垣裕之は、優勝会見で何度も、この言葉を強調した。
「何度も近畿の人たちが頑張ってくれたなかで、結果を出してこれなかった。
本当に申し訳ない気持ちがずっとあったんで、なんとかここでと思っていました」
昨年は初めてグランプリに出場。SS班として初めて迎えたG1、2月の全日本選抜で優出。
今シリーズと同じ脇本雄太の番手だったが、チャンスをモノにすることができず落車
失格の憂き目。鎖骨骨折で戦線離脱を余儀なくされた。怪我からの復帰後に照準を
絞っていた8月のオールスターのファイナルでは、村上義弘が鬼気迫る先行。盤石の
番手まくりでタイトルを手にしかけたが、岩津裕介にゴール寸前で交わされ、またも
涙を飲んだ。
「正直、怪我をした時に(G1優勝ができないのかと)思いましたし。やっぱりあと一歩で
獲れないレースが続いて…。そんななかでいろいろ考えさせられたこともあって。
いろんな人からアドバイスをもらって、こういう結果が残せたのかなと思います」
10年8月には骨盤骨折の大怪我を負い選手生命も危ぶまれたが、あきらめることなく
夢を追い続けた。何度も挫折しかけたが、それを救ったのが仲間だった。
「本当にいろんな人に世話になって、近畿の一緒に走る仲間はもちろんですけど。
ずっとトレーニングを見てもらった松本整さんやいつも支えてくれた家族に
感謝したいです」
大挙5人が決勝に勝ち進んだ近畿勢。大阪コンビとは別線となったが、前後を脇本、
村上が固めるライン。信頼できる仲間に稲垣の気持ちがブレることはなかった。
「自分の仕事をしっかりしようと。すごく集中できたし、どんな展開でも対処しようと
思ってました。まだまだ、脇本君の掛かりが良かったんですけど、古性(優作)君の
勢いが良く見えたので、踏ませてもらいました」
最終バックからこん身の番手まくり。直線で抜け出したものの、村上を弾いた平原が強襲。
短い前橋の直線のなか、平原が稲垣に体を重ねたところがゴールだった。
「平原君に行かれたかどうか、わからなかった。それで手を挙げられなかったけど。
1周回ってファンの方に教えてもらった」
稲垣が日ごろから口にしていた「近畿はラインの競輪」で、念願のタイトルホルダーの
仲間入りを果たし、年末には村上と2度目のグランプリが待っている。
「本当に自分の力だけで獲れたもんだと思ってないので。近畿の仲間に感謝して、
これからタイトルホルダーとして、ふさわしい走りをしてきたいです。ただ勝つだけが
競輪じゃないと思ってますし、どういう風にファンの人たちに喜んでもらえるか
走っていきたい。本当に近畿の仲間のおかげで獲れた優勝なので、その気持ちを忘れずに
一戦、一戦走っていきたいです」
近畿の仲間を支え、そして支えられ、ここまでたどり着いた稲垣は、最良の日に
これ以上ない笑みを浮かべる。

単騎の平原康多は4番手の古性がバックまくりに出ると、空いたインコースを鋭く突いて
直線で村上を飛ばす。そのまま稲垣に迫ったが、わずかに届かなかった。
「単騎でやれることは限られていると思ったんだけど、やれるだけやりました。脇本の
掛かりがすごかった。どうしようもなかったし、深谷も行けないだろうと思いました。
自分は外踏むのは無理だと思って、集中して踏めるコースをと思って踏んだんですけどね。
また頑張ります」

京都ワンツーはならなかった村上義弘だが、目の前で稲垣は優勝。感慨深げにレースを
振り返った。
「この場所で松本(整)さん、市田(佳寿浩)に続いて、頑張ってる人たちの最高の
場面に一緒にいれたのが。すごいスピードで平原が来たのはわかったんで、車を内に
寝かせたけど平原のパワーが上でした。今回(稲垣が)不甲斐ないレースをすることが
あれば、周りも納得しないでしょうし、いい結果を出せて心から稲垣を祝福したい。
これで他の近畿の選手も心置きなく戦えるんじゃないですか(笑)。僕もつきものが
落ちました」

もちろん稲垣優勝の最大の立役者は脇本雄太だ。赤板前から一気に仕掛けると、別線の
反撃を許さなかった。
「4コーナーまで勝負するのを前提に、最後まで踏み切れるところから行きます、と。
(京都の2人は)言葉をかけずに任せた。それだけ信頼してくれてるし、そのぶん、
使命感があった。だから自分が踏もうと思ったところは、あそこでした。今後はいかに
優勝できる駆け方ができるかですね。今度はもっとゴールまで勝負できるように
頑張ります」

一方、8番手に置かれてしまった深谷知広は、まくり不発の8着に。レース後は
「(最終)ホームが…。見ちゃったなあ。気持ちで負けました。(脇本が)すごい
掛かりだった」と、悔しさをにじませた。


レース経過
号砲で中部両者が飛び出し、深谷知広-浅井康太が前受け、これに単騎の平原康多、
園田匠が続き、脇本雄太-稲垣裕之-村上義弘で中団を形成、古性優作-南修二が
後攻めの形で隊列は落ち着く。
残り3周半から古性が早くも始動。青板で誘導員の後位に収まる。脇本はこれを追わず、
深谷も引かされて、平原が大阪コンビの後位に入り、園田が続く。後方の7番手で
仕掛けのタイミングをうかがっていた脇本は中バンクに上がって3コーナーから一気に
スパート。赤板から主導権を握る。これを受けた古性が4番手を確保。単騎の平原、
園田が6、7番手、深谷は8番手に置かれる。脇本がそのまま緩めずに軽快に飛ばして、
打鐘、最終ホームを一列棒状のまま通過。2コーナーから古性がまくると、車間を空けて
備えていた稲垣が3コーナーから番手まくりを敢行。バックから内を進出した平原は
4コーナーで村上を外に飛ばして執念の追い込み勝負。これを振り切った稲垣が悲願の
G1初優勝を飾った。単騎で俊敏な立ち回りを見せた平原はわずかに届かず2着。
平原にすくわれた村上が3着に踏ん張った。